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今週のコラム 254回目 【病理結果報告書の見本はこちら】抜粋版 2

今朝のmusic time lineは「1992」でした。

いきなりかかった曲が「悲しみは雪のように」

オー、浜省! ランニングのペースが自然と上がります。(天気もよく、涼しかったしね)

更に「愛という名のもとに」

そう、(そもそも)「悲しみは雪のように」はドラマ「愛という名のもとに」の主題歌だったのです。

唐沢寿明と鈴木保奈美が主演だったのは覚えているけど内容はさっぱり想いだせない。

テーマは「80年代とトレンディードラマの終焉」

1992は、あの尾崎豊が亡くなりチェッカーズが解散した年だった。一つの時代が終わった。

 

 

「ある乳腺外科医のストーリー」(続き)

1年間のローテ―トを経て、正式に第2外科「乳腺班」に所属しました。

若い医局員は生活のために週の半分くらいは関連病院に非常勤医師としてのバイトに勤しみます。

(現在では違うかもしれませんが)当時、乳腺専門外来もなく手術も普通の消化器外科。

バイトでは(一般外科医として)外来したり、手術をして(そのまま)当直業務へ

内科当直と外科当直みたいに別れているわけではなく、「全科当直」

殆どの患者さんは「小児の発熱」や風邪など内科患者(この当直業務が、内科系の薬の使い方を学ぶ場となりました)

たまに外科系の救急患者さんが来ると(少し)嬉しい。

いそいそと傷を洗浄し縫合。『この傷は、そのまま閉鎖すると(中で菌が繁殖して)化膿するから、ドレーン入れますよ』

そう、ドレーンは「感染のリスクの回避」のために本来はあるのです。(決して、いい加減な止血やリンパ漏を誤魔化すためではない!)

少々、話は逸れました。

そうなのです。若手医師には自分の専門で診療をする機会さえもない。(まぁ、外科系というよちも「一般医師としての素養」を身に着ける期間ともいえるのです)

★ 大学病院での乳腺診療

大学(医局)時代は、半分は(関連病院での)一般外科診療。残る半分が「乳腺班」のグループとしての大学診療

と、いっても週1回の外来と週1回(2件)の手術

(外来診療)

外来患者さんのカルテが(勿論、当時「電カル」はなく、紙のカルテです)受付に並べられていて、それを自分で(ランダムに)取って診察する。(当時、4~5人外来に出ていました)

一人の患者さんを継続して一人の医師が診るわけではないのです。

たまたま、その日に診た医師が(気になれば)細胞診するかもしれないし、その医師が(細胞診に)自信が無ければ『どうせ、(その患者さんの)次の外来は別の医師が診るんだし』と、先送りになることも(今考えると)多かった。

こんなことを想いだしていると、QAに頻繁に出てくる「無責任(先送り)診療」も大学病院時代には当たり前だったなぁーと思いますね

一人の患者さんを(自分が)責任をもって継続して診ていく。それが大学病院の外来には無いのです。

(手術)

外来で誰が診ていても、入院するとそれは無関係

手術前日、ふいに教授が現れ、『明日の手術、君執刀ね。』冗談ではなく、そのままです。

無論患者さん自身は「誰が執刀するのか?」など質問する自由もありません。質問しても『皆で手術しますから』

こうして(我々)若手未熟医師の経験の場となるのです。

手術は週に2件、年間で100件程度。

20年以上前だから乳がん患者数も少なく、それでも(県内では)多い方(ただし、その当時から東〇公〇病院は300件近くで「別格」)

100件を若手の4人位+(たまに)教授が執刀するので年間20件も手術していなかったなぁ。(それでは上手くなるわけない)

そんな大学医局時代。

メインは(生活の為の)一般外科医としてのバイト、そこに(乳腺外科医としての)ゆるーい「外来診療」と「手術」が1日ずつ。

皆さん、ここまでが大学医局院時代です。

こうして改めて書いていると、『上手くなるわけないやん!』

そう、その通り。大学病院での診療で上手くなるわけはないのです。

まぁ、当時乳癌患者数が少なかったから、そんなものだったのかも?しれませんが、大学病院の診療とはその程度のものです。

20年経ち、乳がん患者数も増えたので大学病院も(当時よりは)忙しくなっている?とは想像したりはします。

何てったって、当時は週1日の外来とはいっても、午後には終わり(外来終わりに)皆でラーメンを(車に乗って)食べに行くのが習慣でした。

 

後輩の「中〇」医師はラーメン通で『あそこのラーメン、スープがあっさりしていて、美味いっすよ。今日そこにしましょう。』何という、「古き良き?」のんびりした時代。

とても江戸川病院の外来とは比較になりませんね。

今回は、ここまで。

権威ある大学病院の裏側(実態)を赤裸々に語った暴露本ではありません(笑)

 

 

〇 本文

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抜粋版2

case.3 (手術標本より)

検体中央に境界不明瞭な腫瘤を認め、乳管内に限局して充実性で一部篩状構造を伴うDCIS.一部にcomede necrosisを伴うintermediate to high grade atypia相当。浸潤病変は認めません。

腫瘍は乳頭側方向へ進展するも断端陰性

(解説)

乳管内に限局

⇒癌細胞が乳管内に限局していることを「非浸潤癌」といいます。

充実性で一部篩状構造を伴うDCIS

⇒癌細胞が充満(ぎっしり)している状態で、一部篩状を呈する非浸潤癌(DCIS)

 

これが、「篩(ふるい)状」構造

乳管の中に充満した癌細胞の「ところどころに空洞」様に見え、これが「篩状」と呼ばれます。

non-comede(非コメド)DCISの代表格

石灰化を起こすわけではない(時に伴うが)ので、エコーで発見されることが多い。

 

一部にcomede necrosisを伴う

一部に、このようなコメド型DCISを伴っているが、(あくまでも)主体は上記(篩状DCIS)です。

このように病変は混じっていることも多く、優勢なものから表記されます。

 

コメド型DCIS

中央で壊死を起こして、ここにカルシウムが沈着して「石灰化」を形成しています。典型的な「壊死型」石灰化であり、マンモグラフィーで発見されることが多い。

 

 

 

intermediate to high grade atypia相当

⇒非浸潤癌には浸潤癌のような核分類はなく、

intermediate(中間)~high(高)異型などのように表記されます。

 

case.4 (手術標本より)

病理組織学的判定

Scar with no redidual tumor cell. status after neoadjuvant therapy.

所見

組織学的にはD-F列にかけて散在性に瘢痕巣の形成が認められますが、当該瘢痕内には腫瘍組織(浸潤・非浸潤)は認められず、薬物療法の効果はgrade 3と判定します。

 

これは「術前抗がん剤」後の、手術標本です。

化学療法効果判定についても記載します。

 

(解説)

Scar with no redidual tumor cell. status after neoadjuvant therapy.

⇒癌細胞の残存なく、瘢痕のみ (術前治療後の状態)

組織学的にはD-F列にかけて散在性に瘢痕巣の形成

⇒D-F列とは「切り出し図の位置」を指しています。

もともと癌があった部位には、瘢痕ができている。

当該瘢痕内には腫瘍組織(浸潤・非浸潤)は認められず

⇒その瘢痕内には癌細胞は存在しない。

時に瘢痕内に癌細胞が生き残っている所見が観察されることもありますが、「それも無い」ということ

薬物療法の効果はgrade 3と判定

⇒完全緩解(pCR)であるということ

(参考に)

化学療法効果判定

Grade 0 無効  治療による変化が殆どない

Grade 1a 軽度の効果 1/3未満の癌細胞に高度の変化を認める。

Grade 1b 中等度の効果 1/3~2/3の癌細胞に高度の変化

Grade 2a 高度の効果 2/3以上の癌細胞に高度の変化 ただし明らかな癌巣を認める

Grade 2b 極めて高度の効果 完全奏効(Grade 3)に非常に近いが、極鐘楼の癌細胞が残存

Grade 3 全ての癌細胞が壊死に陥っている

 

今回はDCISや「化療効果判定」などの、ややマニアックなものを取り上げました。

次回はfibroepithelial tumor(線維腺腫や葉状腫瘍)など「癌以外」を取り上げます。

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