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今週のコラム 513回目 コラム407回目「その後」

今日、患者さんと話していて気が付きました。(些細なことですが)

先日(先週)のライブ配信でも記載したのですが、私が医者になった当初は「CMFの時代」

その当時は不思議と今でも記憶にありますが(30年以上経ったのに!)

手術翌日に初回点滴、そして1週間後点滴して翌日退院。

入院日をday 0とすると、手術日day 1,  CMF1-1 day 2, CMF1-2 day 9 退院 day 10

退院後にもうひとクールは外来で2-1, 2-2で終了でした。

今考えると、術後補助療法としての抗がん剤の薄いこと! その後のanthracycline 1強の時代からanthracycline followe by taxane、そしてHER2 positiveへのanti-HER2 therapyなど考えると、古の時代といえそうです。

 

今回気づいたのは、何故その当時術後抗がん剤を翌日にやったのか?

その理由に(その患者さんと話している最中に)思い当たったのです。

 

無論、時代は古ですから乳腺外科など存在しません。

一般外科(消化器中心+外傷、甲状腺、乳腺)で行われていました。

手術は消化器中心で胃癌>大腸がん>胆石> >>>乳癌のような内訳です。

すると我々外科医にとって胃癌、大腸がんなどの患者さんと術後接していると 術後絶飲食で1週間点滴だけ、そして(たしか術後1週間程度してから)消化管造影(吻合部に縫合不全がないことを確認してから)ようやく流動食→3分がゆ→5分がゆなど…

時代が変わって今では(腹腔鏡手術も含めて)かなり短縮されているとは思いますが…

それらの患者さんを日常的に診療していて、たまに乳癌の患者さん(私の研修病院では月に1例もなかったような…)の手術があると、その回復というか重症感の無さが際立っているのです。

無論、その当時は(今でも私以外は)ドレーンを入れていたので、重症感はなくても術後10日間くらいは入院しているわけです。

つまり発想としては「重症感もなく元気なのに、10日も入院している。ただベッドにいるだけではもったいない。抗がん剤始めちゃえ!」

おそらくこういう発想だったのでは? と気づいたのです。

♯やはりこの発想は消化器癌の術後に混じってこそ「乳癌術後の患者さんの元気さ」が浮き彫りになるわけで、これが現在の乳腺外科のように「すべてが乳がん患者さん」だと、ちょっと発想できないことなのかもしれません。

しかも(当時は)リンパ節転移なし→タモキシフェン、あり→抗がん剤という「術後病理を見なくても方針はシンプル」だったので術後治療を決めやすかったという背景もありそうです。

 

〇本文

先週の掲示板を今朝読んでいて、ふーちゃんさんの

(以下、一部抜粋)

>途中、何度も『これは流石に撤退か?』と挫けそうになりながらも
>私の頭のなかに浮かぶのは『綺麗さっぱり取れましたよ!』
>と言ったときに(浮かべるであろう)患者さんの笑顔です。

を思い出しておりました。
この回、泣けます。

これを慌てて読み返していました。

それまでは今回のコラムの内容を(頭の中で)準備していたのですが、ひっくり返すことにしました。

 

今週のコラム 407回目 再び ♯この「再び」を見るといつも思い出すのは『パン屋再襲撃』です。

かつてパン屋を襲撃した呪いのせいだと考え、妻とともに再びパン屋を襲撃する。 と、なんとも日常に潜んだ村上春樹らしい本です。

話が脱線しましたが、急いで407回目を読み返しました。

記憶と共に蘇るあの光景。鎖骨下再発や鎖骨上郭清。 全ての手術に今自身が持てるようになったのも「あれから」かもしれません。

通常は大血管(鎖骨下郭清の際の鎖骨下静脈や、鎖骨上郭清の際の無い経静脈など)とは一部のみ近接しており、そこから外すのがハイライトともいえるのですが…

407回目は違ったのです。 鎖骨下動静脈の正面に強固に癒着! 完全に血管の一部となったかのような…(こう書いているだけで、胃がキリキリしてきます)

『あれでも、取れるのだから…』きっと、その後の私に大きな影響を与えた最たるものと言えます。

そしてカルテには、(いつもはかなり簡単に記載するだけで終了するはずの)手術所見が私にしては「かなり」詳細に記載されていました。

 

手術所見

一部抜粋

②Rotter及び鎖骨下郭清

大胸筋を牽引しつつ大小胸筋間を剥離した。

この際上胸筋神経沿いに複数の腫大したリンパ節(Rotter)を認め郭清した。

小胸筋内縁にそって小胸筋膜(内側)を切離し、腋窩静脈の尾側でテーピングしこれを外側へ牽引し鎖骨下領域を明らかとした。

通常の鎖骨下郭清(小胸筋内縁及び腋窩静脈及び胸壁に囲まれた部分)には腫大したリンパ節は認めなかったが、この部分の通常よりも浮腫状に厚くなっている組織を完全に郭清した。

 

◎この際に、術前に鎖骨下動静脈に被さるようにして位置するリンパ節を触知したが、通常の鎖骨下郭清の視野からアプローチするには頭側過ぎて無理であった 注)ため、以下の様なアプローチとした。

 

③鎖骨下動静脈に被さるように転移したレベルⅢ郭清

大胸筋と皮膚の間を剥離し、鎖骨付着部まで明らかとした。

大胸筋表面から、(大胸筋越しに)硬く触知するリンパ節を確認しながら大胸筋をこのリンパ節よりも頭側(鎖骨付着部近く)で鎖骨に沿って慎重に切離した。

大胸筋と小胸筋をまとめてテーピングし外側へ牽引することで、このリンパ節の真上からの視野を確保

このリンパ節は鎖骨下動静脈の真上で強固に固着しており(手術不能の印象をもったが)これら血管に接していない部位から外していった。尾側で鎖骨下静脈と固着していた部分を鈍的鋭的に慎重に外していくとリンパ節の裏に鎖骨下動脈の存在を視認。かなりの時間(このリンパ節を外す操作だけでおそらくⅠ時間以上)を要したが最終的には郭清しえた。

閉塞 止血を十分に確認し層層に縫合閉鎖。ドレーンは不要にて留置せず。

 

注)普段の鎖骨下郭清の視野では鎖骨下静脈の下縁までしか見えていません。

 

結局、手術病理結果では、この(通常より頭測に位置する)レベルⅢ1個のみに転移があっただけでした。

R 0/1 , Ⅰ+Ⅱ 0/7 , Ⅲ 1/1   21mm 節外浸潤+

 

この方は地元(かなり遠方)で術後1年半の検診エコーで指摘→PETにて「鎖骨下リンパ節再発のみ」となり、その紹介状には(その地元の医師は)患者さんには手術を勧めていると記載があります。

しかしこの方は(地元での手術を断り)私のところへ手術希望で来たわけです。

その理由は何だったのか? 今となっては覚えていませんが、(その患者さんは)その医師の言い方に「この手術に自信が無さそうに思えたのか?」

わかりませんが、正直な話。もしもその地元で手術していたとしたら『取れませんでした。 放射線をしましょう。』となっていたことでしょう。

まさに、terning pointとなりました。

何故なら、初回手術ではHER2陰性だったのが、このリンパ節の手術病理ではHER2陽性と判明したのです。♯血管の真上に乗っているわけだから、当然この再発リンパ節の組織診は術前にされていません。

 

407回目さんの「その後」

anti-HER2 therapyを地元で施行。anthracyclen→phesgo/docetaxel→phesgo

phesgoなら(副作用がないから)当院で行うことにいったんはなった形跡がカルテには残っていますが、実際はそのままphesgoも地元で完遂

現在、半年に1回の経過観察に当院を受診(たまたま、今月にも半年ぶりに通院されていました)

無再発で元気にされています。

 

もしも、あのまま「あのリンパ節があそこに残っていたら…」

あの位置だと腕神経叢に浸潤して(最悪)上肢麻痺、またリンパ浮腫(癌そのものが原因のリンパ浮腫はかなり厳しい)そして節外浸潤していたので遠隔転移をやがて起こしていたかもしれないし、(HER2 positiveと判明したおかげで行うことのできた)anti-HER2 therapyもできなかったので遠隔転移再発のリスクも高くなったとも推測されます。