みなさん、こんにちは。
今日は「春の嵐」
今朝の江戸川河原には「誰ひとり」散歩の方も(勿論、ランナーも)居ませんでした。(人っ子ひとりも見かけなかったのは、始めてかもしれない)
FMから流れたshort story
患者「先生、大変なんです。」
医師「どうしました?」
患者「体中、どこもかしこも痛いんです。一体どんな大変な病気なんでしょうか?」
医師「どんな感じなんですか?」
患者「自分で頭を押すと頭が痛くなるし、胸を押すと胸が痛い。お尻を押すとお尻が痛いんです!!」
医師「指の骨が折れてるんです。」
創処置について
遠方の方によく聞かれるのは…
「手術のあと、どのくらいの通院が必要なのか? 通えるのか?」というものです。
実際のところは、「今週のコラム」を仔細に読んでいただければ「至る所」に記載があるのですが、今回(入院)患者さんに直接聞かれて答えているうちに、「もう一度、(背景も含めて)このコラムで取り上げよう!」と感じたのです。
まず、創処置の歴史(大げさ!)について記載させてもらいます。
1.外科研修医の頃
例えば、救急外来や外科外来で「指を切った」などで「縫合」した場合
翌日 消毒(に来院) そして翌日も「消毒」、そして翌々日も…
1週間後 抜糸
♯ 結局1週間目に抜糸するまで「毎日! 消毒」
今考えると… 随分暇だったなー(そして無駄そのもの)
2.(時は流れて)大学病院時代
大学病院から、まともに給料を貰えるのは教授くらいであり、皆市中病院へバイトへ出ます。
外科医というのは(外傷にも強く、挿管など緊急事態にも強いため)「夜間救急」のバイトの重要が多く、私もよくやりました。(週末や年末年始は稼ぎ時でした)
このころには、救急外来で「縫合」しても「1週間後に抜糸に来てね!」で終わる時代になっていました。
★消毒は「創傷治癒にむしろ有害」という考え方が一般となり「無駄な消毒が減った」のです。
♯ただし、感染した「汚れた傷」は別です。(その場合には)「創傷治癒よりも、消毒による感染制御の方が先」なのです。(ちなみに、乳腺は感染する事は無いので消毒は不要です)
3.(いよいよ)東北公○病院時代
乳癌の手術も、かつての「ステープラー(医療用ホッチキス)」が主流の時代から、「吸収糸(溶ける糸)で内縫い(表面に糸は出ないので抜糸不要)」が中心へと推移しました。
この頃は全例(当たり前のように)ドレーンが入っていたので、(全例)1週間以上入院していたのですが、(抜糸はないのに)「かつての1週間目に抜糸をする習慣から」1週間目に(無駄に消毒して)創部を確認する。という習慣は継続していました。
★一般的に外科医の習慣として(おそらく、かつての1週間目に抜糸という習慣から)、抜糸は無くなっても「退院後1週間目に、創部を見せてね」というものが根強く残ってます。
4.八○市立市民病院時代
この期間は僅か9カ月だったのですが、ダイナミックに変革期を迎えました。
(前述した様に)公○時代は全例ドレーンだったのですが、手術の精度が上がるにつれ「本当に必要か?」と疑問に思っていたからです。
①乳腺部分切除、腋窩郭清無でのドレーン省略の時代
まずは「部分切除」「腋窩郭清無(センチネルリンパ節生検のみ)」のケースでドレーン無しで、スタートしてみました。
「大丈夫だな。」
数例は、「お試し」感覚でしたが、全く問題なくリンパ液も貯まりません。
数カ月はこの「部分切除」と「腋窩郭清無」限定で「ドレーン無しを実行」して自信を深めていきました。
②腋窩郭清でのドレーン省略
この時代は(現在もですが)、(幸い)私一人で手術をしていたので症例がどんどん蓄積され精度が上がっていきました。
「(これなら)腋窩郭清でも綺麗な手術をすれば(ドレーン無しでも)大丈夫では?」
最初の症例は(今でも記憶にありますが)「男性乳癌」症例でした。
この患者さんは、(胸には異常がない)いわゆる「オカルト乳癌(腋窩リンパ節転移のみ)」でした。
しかも男性だから(女性に比較して)筋肉が発達していて脂肪が少ない。(手術の条件としては理想的なのです)
(乳腺にメスをいれずに)「腋窩だけの手術」だということも私に勇気を与えてくれました。
こうして「腋窩郭清でドレーンを入れない」最初の症例となりました。
ドキドキしながらの、その晩の回診。 「よかった。大丈夫だ。」 (何事も最初は心配なものです。)
これを機会にして、「腋窩郭清でもドレーンを省略」するようになりました。
③乳腺全摘でのドレーン省略
私は最初から(全ての手術で)「ドレーンを入れない手術」を目指していたわけではありませんでした。
どこの乳腺外科医に聞いても「乳腺全摘でドレーンを入れない事は不可能だ」そう言うでしょう。
私も、「乳腺全摘では剥離面積が広い(液体が貯まる空間が大きい)のでドレーンは必要だ」
(無意識に)普通にそう思っていました。
しかし、やはり「きっかけ」はあるものです。
それまでに、(全摘以外はドレーンを入れなくなったことにより)「どのような手術をすれば、出血やリンパ漏れを防げるのか?」について自信を深めていたこともあります。
そんな中、全摘が必要な高齢女性がいたのです。
しかも、やや痴呆があり、(この患者さんで)「入院期間が長いと(ドレーンを入れるとどうしても入院期間が長くなります)この患者さんは寝たきりになるのでは?」
私は、そう危惧しました。
幸い「腋窩郭清無しの全摘」だったので、「全摘だけど(腋窩がないから)挑戦してみるか!」
ついに「その時(全摘でドレーン省略に挑戦する)が来た」のです。
その手術は覚えています。
「とにかく丁寧に!」
手術助手(研修医)にも、自分自身にも繰り返し言い聞かせながらの手術でした。
リンパ液やら血液やら「絶対に漏らさない!」非常に細かい手術をしました。
翌朝、元気に退院した、そのご高齢の患者さんを見ながら、
「(ご高齢の方ほど)無理なく早く、退院させられることは大切なことだ」
これが契機となりました。
これ以降、(あらゆる手術で)ドレーンを入れることは無くなったのです。
5.江戸川病院時代
ここ江戸川に赴任して丸四年。4月から5年目を迎えました。
ドレーンは勿論1人にも入れず(同時再建では形成外科で入れていますが…)
最初は(腋窩郭清の有無に関係なく)部分切除は2泊3日(術翌日退院)、全摘では3泊4日(翌々日退院)としていました。
♯部分切除では、(手術時に尿管を留置せず)術後4hで安静解除⇒翌日退院
全摘手術では、(手術時に尿管を留置して)術翌日に尿管抜去して安静解除⇒翌々日退院としていたのです。
しかし、実際には…
若い人は全摘して尿管を入れて(一晩)ベッド上安静にしているのも我慢できず、(手術当日)夜には(患者さん希望で)尿管抜去⇒安静解除とする例も多かったのです。
「若い人には、尿管入れて一晩安静は不要というか、不自然だな!」私にはそう思えました。
それで…
比較的早いうちに「30歳代は全摘でも(尿管入れずに)4hで安静解除⇒翌日退院」と変更したのです。
やがて「30歳代」⇒「40歳代まで」
⇒そして現在は「50歳代前半までは全摘でも(尿管入れずに)4hで安静解除トイレ歩行⇒翌日退院」としています。
このように今では、3泊4日の患者さんは少なくなりました。
70歳代 全摘(腋窩鎖骨下郭清 レベル3まで)
術翌日(朝)回診時)
手術当日は、「腕を挙げるなんて、とんでもない!」的な表情でしたが…
随分挙がるようになりました。(まだ耳につくのはキツイようです)
「まあまあですね。(明日退院だから)今日一日練習してください。」
術翌々日(朝)回診時)
すっかり表情が違います。
「先生、痛みも良くなって、こんなに動きます!」
★腕が、きちんと「耳まで」付けられるようになっていることに注目ください。
更に肘を(反対の手で持って)頭の後ろにも持ってこれます。(まさに「運動前の」ストレッチです)
「これなら、合格です。」
退院おめでとうございます。
★70歳代 「全摘、レベル3郭清」術後2日目このように腕も挙がり退院できるのです。
○次回は、昔ながらの慣習(術後1週間目には消毒のために受診する)を辞め、「創処置は術翌日のみ。術後1週間目の創処置は不要」とした経緯をお話しします。
いよいよ来週は「免許更新」のために(久々の)仙台です。(住民票は未だに仙台なのです)
免許を取って30年。
私にとっては記念すべき「初めての優良運転者」となります。(遅過ぎ!)