寒くなりました。
皆さん、体調管理してますか?
ニンニクお勧めです。
今週の『笑ったスカロケ』
リスナーからのメールを紹介した際に、その中で「(下の)名前は秘書と一緒です」という文言がありました。(因みに秘書は「ハマサキ ミホ」です。)
マンボウ (つぶやくように)『「あゆみ」かー』
秘書(浜崎みほ)『違いますよ。(私)ミホですよ。「アユ(浜崎あゆみ)」じゃ、ありません。』
マンボウ(ぼけて)『あれっ? 浜崎さん。アユじゃなかったっけ? いつも(2階席に向かって)鼻声で「みんなー」って、言ってるよね。』
秘書『違います。私、(コンサートの時の)アユじゃありませんから。』
マンボウ(またまた鼻声で)『「リスナーのみんなー」って、いつもラジオで呼びかけてるよね?』
秘書『呼びかけてません!』
この「面白さ」が伝わらなかったとしたら、私の文章力のせいです。
是非、本物をradikoのtime freeで聴いてみてください。(何曜日だったか忘れました)
〇 本編
2019年11月19日1 乳腺症について教えて下さい。」を回答していて、あらためて過去の「あるあるQ]を見返してみました。
「あるあるQ]49 「乳腺症と言われたら、全例MMTEしなくてはいけないのか?」です。
ここの文中で(画像診断での)乳腺症を以下の3つに分けています。
1.100%癌ではないと断言できる。
2.良性の可能性が高いが「癌ではない」とは言い切れない (これが、「乳腺症だと思うけど、経過観察」と言われるケース)
3.癌との鑑別が難しい(癌の可能性もありそう)
今回のコラムでは「コラム 211」の流れで、上記を更に深堀してみます。
「2019年11月19日1 乳腺症について教えて下さい。」の中に登場する乳腺外科医は
『生検しなくていいです。こんなん生検していたらキリがないよ 不安なら経過を見ていけばいい。この乳腺症が実は癌でした!は絶対にないけど、乳腺症の場所から癌が新たに出来ることはあるよ』
とコメントしています。
私が(勝手に)この乳腺外科医のコメントを解釈すると…
上記2というよりは「ほぼ1」のように感じます。
「ほぼ1」なのだけど、「1と断言」することはしない。それでは何故(1とはできずに)2にしてしまうのか?
これが今回のテーマです。
≪1と言えない乳腺外科医≫ 「Noと言えない日本人」みたいな題名ですね??
①乳腺症とは何ぞや?
まずは「乳腺症とは何ぞや?」ここから始めないといけません。
まず皆さんに注目してもらいたいのは「症」という言葉です。
(広辞苑で調べてはいませんが)この「症」は病気ではなく、あくまでも「症状」を表す言葉なのです。(つまり乳腺症は病気ではない。これが大前提となります)
①-1乳腺症の正体
腺管の増生(増えること)や線維化(硬くなります)による正常乳腺のバリエーションです。
線維化で硬くなった乳腺内で増生した乳管は潰されて閉塞します。閉塞すると分泌液が停滞し、溜まった液体により乳管は拡張し、やがて嚢胞 注 1 )となります。
注 1 )嚢胞とは正常乳管が閉塞して液体が貯留し、(水風船にたとえられます)楕円や円形となります。
①-2乳腺症の原因
卵巣は、30歳代後半から機能が衰えはじめ、そのホルモン分泌が不安定となります。最終的に機能を失うと「閉経」となります。
卵巣が不安定となると、そのホルモンによる「増殖シグナル」が過剰に働き、上記のような変化(腺管の増生や線維化)が激しく起こるのです。
なので、「乳腺症」と言われる方の大半がこの年代(30歳代後半~50歳代前半)となります。
①-3画像所見
エコーでは「乳管拡張と嚢胞が混在し、時に(線維化による)引き攣れも伴う)」多彩な像となります。
「乳管拡張」や「嚢胞」が単独で存在する際には、(敢えて乳腺症とは呼ばずに)「乳管拡張」、「嚢胞」と表現されます。
ときに、これら(乳管拡張や嚢胞)が集簇していると、その部分を「腫瘤非形成性病変 注 2 )」と表現します。
注 2 )腫瘤非形成性病変とは、それ自体は「良性」とか「悪性」などの特定の疾患を表しておらず、あくまでも「画像所見(主としてエコー像)」の表現にすぎません。
実際には癌(大部分は非浸潤癌)と良性(大部分は乳腺症)を含み区別はしていません。
以下、トップページの「腫瘤非形成性病変」に掲載している図
見てほしいのは左側の「腫瘤非形成性病変」です。
上2つは乳腺症に伴う所見であり、下は癌に伴う所見です。
どちらもエコー所見では「腫瘤非形成性病変」と表現されます。
まず、ここまでよろしいでしょうか?
「乳腺症」は病気ではない、(閉経へ向かう)自然経過であり、(女性であれば)誰しも多かれ少なかれ起こる「正常乳腺のバリエーション」に過ぎないのです。
ただ、画像所見で(時に)乳癌と鑑別が難しいケースがあるのです。
②乳腺症の仕分け
ここで冒頭の分類が再登場します。
(乳腺症の分類)
1.100%癌ではないと断言できる。
2.良性の可能性が高いが「癌ではない」とは言い切れない (これが、「乳腺症だと思うけど、経過観察」と言われるケース)
3.癌との鑑別が難しい(癌の可能性もありそう)
まず、「癌」を多く診療していないと上記3と分類することが(そもそも)できません。
①-3で掲載したエコー写真でいうところの右下のような「典型的な乳癌」しか知らないような医師には、(3を見ても)「乳腺症」としか判断できないのです。
②-1乳腺外科医の第1ステップ 3の認識
「癌の診療」を多く重ね、「癌のエコー像」にもさまざまものがあることを習得すると、3を認識できるようになります。
3を認識できるようになると、「乳腺症の所見の中に癌が混じっている」ことを認識するようになります。(ここまでが第1ステップ)
②-2乳腺外科医の第2ステップ 1と言える乳腺外科医が何故いないのか?
これは言い換えれば「2の中から1を増やしていく作業」に他なりません。
自分の経験の中で、「この所見は絶対に1」と言えるようにする手段が「MMTE」なのです。 注 3 )
注 3 )MMTEが登場するまでは、「外科的生検」が唯一の手段でした。(CNBでは病変全体の評価はできないので)
ただ、「外科的生検」となるとMMTEとは異なり、そう簡単に(患者さんに)了解が得られるものではありません。(良性の可能性が高いのに手術は選択しませんよね?)
それで長い間「乳腺症」を経験的に確定診断して1を増やす事ができなかったのです。
②-3MMTEを良性の確定診断に積極的に用いること
これこそが「肝(キモ)」です。
そもそも(出血が怖いとして)MMTEを行わない医師には「乳腺症の確定診断」自体、不可能(つまり2は永遠に2であり、その中から1が増えることがない)
悪性を疑わない限り生検をしない「経過観察大好き乳腺外科医」も、全く同様。
★それに対して「これは良性寄りだけど、100良性とは言えないな。」と思ったときに積極的にMMTEを行う。これを繰り返すことで、
この所見は1と断言できる。という(自分の中の)判断が増えていくのです。
「良性を良性と診断するためにMMTEを積極的に用いることでのみ 乳腺症を「100%癌ではないと断言できる」ようになるのです。
これは、積極的にMMTEしない限り「乳腺外科医歴50年」でも全く到達できないことなのです。
≪「本当に癌じゃないんですね?安心していいんですよね?」と詰め寄られても、「Yes」と言えない乳腺外科医≫
これらの医師は、必ず「念のため6か月ね」となります。
それに対して、私は「Yes」と言える範疇が大きい。(逆に、ここで「Yes」と言えないなら「MMTしましょう」となります)
★その違いは何か?
もうお解りですね?
これこそが「如何に積極的にMMTEしているのか」の違いに他なりません。
数限りなくMMTEすることで、その積み重ねで、2の中で1が増えていくのです。(最初は2だったものが、どんどん1に変わっていきます。
◎最近、『田澤先生から「乳腺症だからMMTEは不要」と言われたけど、(地元の)〇〇クリニックを受診してみたら「癌ではないけど乳腺症があるね。」と、言われた。これって、本当にMMTEしなくていいの?』
みたいな、QandAがたびたびあります。
以前は一つ一つ回答していましたが、今後は一切回答しません。
私が1と判断したから不要としているのです。(それは、1が区別できないような他の医師が何を言おうと)永遠に変わることはないのです。
≪追加コメント≫
(MMTEをして白黒つけなくたって)「5年、10年経過をみれば、やっぱり良性だった」と確認できるのではないか?と考える人(乳腺外科医も含む)もいるでしょう。
それに対しては、以下に反論します。
1.途中で「増大しシコリを形成」した場合に、(そのクリニックに行かずに)別の病院へ行って癌の診断となり治療となるケースが多い。
患者さんにとって『あのクリニックに行って、失敗した。』という意識となるため頻繁に起こります。(当院受診のケースでも数多い)
だから、実際は癌であっても「その(経過観察を指示した)クリニックの医師には、確かめようがない(結局、癌だったことを知らない)」まま終了してしまいます。
2.もう一つは「印象(所見と病理結果がダイレクトに繋がるのか?」です。
初回の所見のインパクトで、(そのもま)すかさず(MMTEで)確定診断すると、「その所見と、その病理結果がダイレクトに繋がる」のですが、
それが、1年後に癌となった場合に、(そもそも)最初の所見は写真でしか残っていないので印象が薄くて、せいぜい「あの時(1年前)は乳腺症に思えたんだけど、結局癌だったんだ。やっぱり、100%良性と言ってしまわないように気をつけよう」という一般論でしか学習できない(所見と病理結果がダイレクトに繋がらない」のです。