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今週のコラム 474回目 成功体験(手術手技)

土曜日屋上

 

鎌倉 珊瑚礁カレー「ホタテ」

想定外の旨さ。感謝です。

 

 

nakagawa BAUM KUCHEN

 

今週末の楽しみに「これ」がありました!

バームクーヘン界の「飛び道具(と私が密かに読んでいる)」である「ラム酒」による唯一無二の「しっとり感」

 

 

Baum Kuchens

 

 

治一郎(上)とnakagawa

King of Baum Kuchen

 

 

 

 

〇 本文

前回コラムで診断手技としての成功体験の積み重ねについて取り挙げました。

ここでは「手術手技」での成功体験が治療を変えていく様を取り挙げようと思います。

の、前に…

敢えて今私が強く意識しているgame changerについて語らせてください。

game changer   試合の流れを一変させるもの

1.bevacizumab

遡る事10年以上前、私が初めて出会ったgame changer

その劇的な効果! その後の私のcCRを求める「キッカケ」と言えます。

♯ 10年半前、私が江戸川病院に赴任して(そのあまりもの暇なことに)時間があったので論文も書きました。

2.CDK 4/6 inhibitor

次に出会ったgame changer   bevacizumabでcCRを達成し、それを長期間維持することができるようになりました。

♯かつては(luminal typeでは)せっかく抗癌剤でよくなっても、(その後のホルモン療法単独で)それが維持できなかったがために、(せっかく抗癌剤で、一時的に病状が改善しても)『それが維持できない。だったら再発治療には抗癌剤は(患者さんを苦しませるだけで)無駄』という未だに根強い誤解(敢えてこう言わせてもらいます)の背景と言えます。

それらの人達もbevacizumab/paclitaxel⇒cCR⇒CDK4/6 inhibitorによりcCRが長期維持できる「成功体験」を一度でも味わったら…(きっと、そんな呪縛から解き放たれることでしょう)

♯つい、書いてしまいましたが上記の内容は次回のコラム 成功体験(転移再発治療編)のkeyとなるものでした。

3.Trastuzumab-Deruxtecan

そして衝撃と共に出会った(私の中の)最新のgame changer

言わずと知れずHER2 positiveの方の「再発」治療ですが、(本来HER2 negativeであるはずの)「HER2 1+」や「HER2 2+, FISH negative」を『HER2 低発現』と呼び適応拡大された薬剤です。

つい先日、(HER2 positiveで)再発治療で他のanti-HER2 therapyが効果不良となり投与したところ、その腫瘍マーカーの「その強烈な、下がり具合に」(最初は)『何か、見間違えている?』と疑ったほどでした。★

♯冒頭のカレーの旨さではないけれど、何事にも「想定外」があります。

抗癌剤も「この道、何十年」で延べ数千人?(もっと?)使用経験のある私には私なりの「常識」があり、(もしも強い効果があった場合には)「この位(下がる)」という(ある種、無意識の)期待値が存在します。

普通に薬剤を変更した場合、(採血結果が出て腫瘍マーカーを確認する際には)その結果を見る前に、(前回のマーカーの値を頭に入れ)その数字を確認します。

『あー良かった。確実に効いている!』という経験は無論数多くありますが、今回は全く「想定外」の数字だったのです。まさしく上記★だったのです。

具体的なことは次回の「成功体験 転移再発乳癌治療」に譲るとして、

T-DXd(trastuzumab deruxtecan)は、game changerという言葉を強く意識したキッカケとなりました。

と、長ーい前置きの後にいよいよ本文です。

①鎖骨上郭清

 

画像が「暗い」ですが…

理由は「古い」機種(US)だからです。

2015 今から9年以上前となります。

 

 

このようにSC supulaclavicular node鎖骨上リンパ節に転移(15mm)し内頚静脈を下から押しつぶしています(狭窄)

 

 

今から9年以上前、(NHK風に言えば)歴史が動いた!瞬間です。

『鎖骨上リンパ節に転移があります。』私がそう告げた際、患者さんから思いがけない言葉が…

『先生、手術でそれ取ってください』

思いがけない言葉、SCを手術で取るなどその時には「露ほどにも」思っていませんでした。「まさか、手術なんて言われるとは!」正直、衝撃でした。

甲状腺の手術をしている時代(最後は、今から15年もっと前か?)では内頚静脈の視野は普通でしたが、乳腺専門となってからは全く見る事の無い視野。

 

ここで(おそらく殆どの乳腺外科医、私以外全て? のように)『鎖骨上リンパ節は遠隔転移のようなものだから、勿論手術しないし一生抗がん剤だね』と、言って手術しなかったとしたら…

『手術して欲しい』その患者さんの、その言葉こそ患者さん自身を救うこととなり同時に私の「成功体験の始まり」を与えてくれた魔法の言葉 ♯1 となったのです。

♯1 魔法の言葉 スピッツのお気に入りの曲の一つです。

当時の「旧」電子カルテを引っ張り出し「麻酔記録」を確認しましたが、僅か39分

たかが39分、されど(私自身の扉を開いた)39分だったのです。

 

②鎖骨下郭清

level Ⅰ

 level Ⅰ これも9年以上前なので画面暗い

 

 典型的な「転移リンパ節」

 

level Ⅱ

 level Ⅱ 『暗すぎて見えねーつーの』

そんな言葉が聞こえてきそうです…

 

 

実際はこうなってます。

小胸筋裏、レベルⅡ転移が「鈴なりに」確認できます。

 

 

level Ⅲ

 

暗いですね。

「もっと光を!」ゲーテならずも言いたくなります。

 

 

 level Ⅲ 転移所見

 

私が鎖骨下郭清(level Ⅲ)をいつから始めたのか?

そこに(上記)鎖骨上のような明確な記憶はありません。

ただ、9年以上前(江戸川に赴任して1年少し)のこの症例は明確に記憶に残っています。

手術病理 n(19/23)  内levelⅢ(7/8)   因みに手術時間(2h10min.  旧カルテ麻酔記録より)

鎖骨下郭清の第1例ではないとは思いますが、かなり「初期の頃」となります。

♯そもそも江戸川に来るまでは鎖骨下郭清したことがなかったため

術後9年以上、無再発

私以外の術者だったら…

 

そう、私自身がgame changerであったと思えるのです。