Site Overlay

今週のコラム 390回目 1枚目のカード(小さなターゲットを診断できること)

こんにちは田澤です。

いよいよ夏へむけて気温が上がってきました。

身体がすぐに温まって汗が出る。それがどんなに幸せなことか!

厳しい冬(北国在住の方々からは笑われるかもしれませんが)ここ東京も真冬は氷点下になります。

そんな冬も過ぎ去り、季節は確実に夏へ近づいているのです。

DSC_0782

 

ちょっと、風の強かった土曜日

ラーメンは温まります!

左は市川シャポーのサラダ

中央のオクラ納豆の上には牛スジ煮こみがいい味出してます。

DSC_0784

 

久しぶりのコーヒー登場

ちょっと風で寒い夕方、コーヒーもいい感じです。

 

○本文

カード

(久しぶりの)動画配信へ向けて、掲示板で皆さんの意見を聞いたり、自分自身いろいろ考えるいい機会となってます。

1.カードを持つということ。

例えれば「生活必需品、何でもそろってマス」と謳っていながら卵を売っていないスーパー、ガソリンが品切れのガソリンスタンド。

針生検をやっていない「乳腺専門クリニック」(実在します)

カード(どの業種であれ)を持たずに営業するのは(客にとっては)迷惑なことであり、ましてやそれが命にかかわるのであれば(それを知らずに受診した)患者さん達にとっては悲劇になり兼ねません。

 

2.カードを持つために。

商品の品揃えならば、「在庫を抱える可能性」がリスクなのかもしれません。(素人の私の想像では…)

乳腺外科の領域では…

小さなターゲットを診断できること(1枚目のカード)

以前(何年も前ですが)にもコメントしましたが、

私自身、大学病院時代には小さな所見(5mm以下など)を生検するなどとは考えてもいませんでした。

何故か? それは大いに周りの環境が影響しています。

無論、若い時代経験不足で手技が未熟で「最初から無理。ありえない」と感じていたのですが(それ以上に)周りの医師、特に先輩や指導医クラスの医師が皆そうだったからです。5mm以下の小さな病変を診断する(生検する)こと自体誰も想定していなかったのです。

そこ(大学病院)での診療は、(大きくなって)いよいよ自分でも刺せそうかな?となったら(おおよそ1cm以上)ようやく組織診(20年以上前なので、その頃は殆ど細胞診でしたが)を行っていました。

再三お話ししているように、細胞診は(組織診の10倍以上は)難しい手技なのでそれでも「外すのも日常(その頃は、良性と出ても画像所見が怪しければ必ず半年後フォローとする習慣)」でした。

そんな環境で(もしも)今を迎えて居たら、(あれから)20数年経って経験が増えたとしても「小さなターゲットは経過観察」のままだったのかもしれません。

 

それを劇的に変えたのが、東○公○病院への赴任でした。

その病院では(前日の診療を提示して)外科医師全員でカンファレンスしていました。

私が(前日のエコー画像を提示し)『エコー所見はちょっと気になりますが、5mmだったので半年後経過観察としました。』と、言ったとき(今でも忘れられません)

平○医師『お前、何故刺さない(細胞診)んだ? 少しでも怪しいなら刺せよ!

このときの衝撃は今でも忘れられません。

それがあったから、今があるのです。

 

管理番号10908「腋窩リンパ節転移について」を一読してほしいのですが…

取りあえず要点を抜粋

今回の定期検診で、腋窩リンパ節の腫れと血流を指摘されました。
主治医からは、「腫れと言っても4mmで、現段階では悪い物かの判断ができないので、3ヶ月後にもう一度エコー検査をして、変化があれば細胞の検査をします」と言われました。

術後6年、腋窩再発の可能性

⇒その担当医には「4mmを確定診断する」というカードが無いようです。

患者さん自身は「4mmの時点で生検をして確定診断をする」というカードが欲しかったのですが、(担当医には、それが無いために)諦めなくてはないのか?

○幸い、この患者さんはそのカードを求めてこのQA⇒「確定診断希望メール」⇒MP市川駅受診して生検

辿りついたのです!

 

市川でのエコー

縦長、周辺毛羽立ち!

皆さん、通常のリンパ節(そら豆のような)を思い起こすと、その違いに大いに気付く筈です。

私『確かに小さいですが… これは形状からして転移だと思います。それでは予定通りCELEROしますね。』

患者さん(覚悟はしていても「転移だと思う」に少なからずショックを受けながらも)『お願いします。』

 

病理結果はつい昨日確認しましたが、やっぱり予想通りでした。

 

カードを持つこと

それは患者さんに選択肢を与えられること。

そして、そのカードを持った医師に辿りつけない限り、悲劇は繰り返される(そう思うのです)