昨日、久しぶりに鮨屋に行ってきました。
鮨も勿論旨かったですが、出会ったワインに感動!
忘れないようにと撮影
患者さんから2年連続で戴いたBAUM KUCHEN
何故、覚えていたのか?
それ位、感動の味!
ラム酒による「しっとり感」が最高。
カットすると、こんな感じ
外側の「しっとり感」伝わりますか?
○ 本文
患者さんからの一言
嬉しい言葉を時々もらいますが、その中でも印象にのこっているものは幾つかあります。
そんな中の一つをご紹介します。
ある患者さん。
前医で細胞診で診断がつかず、当院でCELEROで乳癌の診断
ここまでは、極めてよくあるケースと言えます。
そして、そのまま前医に戻らずに(診断だけ当院でつけて、無論戻ってもいいのですが)当院で手術希望となりました。 これも多数派と言えます。
ただ、ここからが「ちょっと」違いました。
患者さんの希望術式が「乳頭乳輪温存」乳房切除術+一次再建
★私は基本的に、全摘は乳頭も含めて切除すべき(乳頭内こそ乳管が集中しているわけだから)。それは他院で同術式で乳頭再発しているケースをしばしば目撃していることもあります。
と、いうことでその術式の提案には「丁重に」お断りをし、乳頭乳輪温存のリスクについてお伝えしました。
ただ、どうしても「乳頭乳輪温存」をご希望して譲らない。
『解りました。それでは(そのような術式でやっている病院へ)転院するしかないですね。 紹介状を書きます。』
と、ここで「その流れ」となると思いきや…
『嫌です。絶対に手術は先生にしてもらうと決めているのです。』
そこまで当院での手術に拘るのかなぁ。と思った瞬間、次の言葉に心を揺さぶられたのです。
『今週のコラムの中で、(台風で沖縄から帰る飛行機が欠航して、殆どの人が諦めて翌日の便に変更する中で)患者さんのために、苦労しながらもその日に辿りついた話を見てw私は(この先生に)手術してもらうって決めたのです。』
その話を聞いて(勿論)私は、その話を思い出しました。
★今週のコラムの何番に入っている話なのか、探そうと思いましたが(ちょっと時間がかかりそうなので)諦めました。お時間のある方は是非お探しください。
→今週のコラム 58回目 細胞診の鑑別困難は「良性が多く、何でもあり」だが、組織診での鑑別困難は「境界病変が多く、確定診断へ進むべき」なのです。
それは、(江戸川病院へ来る)前年のことでした。(仙台ではなく、その時は短期間在籍した八戸市立市民病院勤務の時です)
カヌーに乗った記憶があるので夏だったと思います。
帰りの飛行機の前日、すでに「台風が来るかもしれない」そんなニュースもありましたが直接影響があるとはあまり考えずにいました。
そして当日、台風が来ました。
那覇空港の電光掲示板には「欠航」「欠航」… 欠航の嵐が(もう「結構」です。というくらい大量に…)
そもそも(青森直行便はなく)仙台空港行の列に居たのですが、並んでいる人たちの口からは『仕方がないなぁ、明日帰るか』
だけど私は違いました。『絶対に今日中に帰ってやるぞ! 明日は朝から診療(1日外来です)があるし私の替りはいないのだから』
と、そこで奇跡が起こり…
名古屋(セントレア)への便は飛び立つことになり、キャンセル待ちを運よくGET!
名古屋から新幹線に飛び乗り(最終便)、(新幹線車中で東京駅の日本レンタカーを予約し)夜中の0時頃でしたが、レンタカーに飛び乗り東北道を半分眠りながら(危険!)
翌朝6時頃だったと思いますが無事に病院へ到着しました。
そんな美勇伝、今より10歳若かったからできた?
私的には「患者さんのために」というよりは(どちらかというと)社会人として仕事に孔を開ける? つまり、(私がいないと)殆どの外来患者さんが(一般外科から代診要員は出ると思うけど)そのまま返されてしまう。
普通の患者さんなら「処方」されて次回予約となるかもしれませんが、化学療法などは(おそらく)延期となり…のような混乱が予想されます。
この話を『患者さんの為だけに、あらゆる困難を乗り越える信頼にたる医者だ!そんな医者に手術して欲しい』と、捉えてくれたことに(ちょっと)驚きある種『そういう見方もあるか…』と思ったのです。
で、結局手術はどうなったか?
その時の、その一言に心動かされ
(あっさり)『解りました。
自己責任の部分を理解してもらった上で、その術式でやりましょう。』
人間(私)は単純なものですね。
思いの外の評価に弱い(私だけ)
どちらかというと武勇伝的に思っていた話が、「私を評価してくれる話」となるとは…