オマール海老香るトマトクリームソースのパスタ
やっぱり、最高!
ほうれん草タップリで味が薄まる?
とんでもない。それでも十分旨いのです。
感謝です。
これです。
○ 本文
暫く「負けざる者たち」を取り挙げました。
遠隔転移や再発を「治らない」と決めつけずに、「治したい」と強い意志を持つものに開かれる扉なのではないかと思います。
先日のフーちゃんさんからの質問にもあったように、そこには「薬物療法の進歩」が欠かせない要素です。
シンプルに言えば、薬物療法の進歩により「かつては絶対に根治はありえないといわれていたものの(全部では当然ありませんが)一部は根治を目指せる」これが正しい表現だと思います。
このような(コラムや動画配信で挙げたような)負けざる者たちは、幾らでも紹介できるのですが(私の患者さんの中には、幸いそのような患者さん達が多い)、一旦基本へ立ち返りましょう。
♯薬物療法の進歩にばかり偏重してしまうと、究極の局所治療である「手術」が疎かにされがちです。
我々は「乳腺科」の医師ではなく、あくまでも「乳腺外科医」なのです。
手術を極めることなく、乳腺外科医を名乗るのはナンセンス極まりない。
何回かにわけて「手術」について、その重要性を語りたい。
◎手術
と、かなり長―い前置きとなりましたが「手術」について語っていきましょう。
ここで手術について取り挙げようと思ったキッカケとなったQAを抜粋します。
『主治医にも出血量は100から200mlの出血だと聞き、安心しました。』
この記載を読んだことです。
スーパードライ
術野は、こうでなくてはいけません。
血で汚れた術野など、神聖な場とは言えません。
それにしても患者さんから「出血量は?」と訊かれて、『100から200ml』とは、
日常的に、そんなに出血しているということですよね?
ちょっと、想像できない。(術野が血液で汚れすぎ!大事なところ見落とすよ!)
って、ここまで書いていて色々気が付いた(と、言うか思い出した)
1.某大学病院から派遣される助手が(皆、判で押したように)ガーゼを持って「出血があれば、いつでも拭きますよ!」状態となっていることに…
年度替わりに(新たな医師に交代するのですが)必ずガーゼを持ちたがる彼らに最初に言わなくてはいけないのが『ガーゼは必要ない。持つな!』です。
最初は「??」という顔になる(大学ではガーゼで出血した血液を拭いて多少でも術野が見えるようにすることこそが助手の役割と言われているわけです)
2.2024年4月で、ここ江戸川病院へ赴任して丸10年となりますが(無論その間は私だけが術者なので出血がないことに慣れてしまっていて忘れていましたが)
その前の10年間の東○公○病院はともかくとして、(それよりさらに前の)大学病院時代を懐かしく思いだせば「出血は手術につきもの」感があったなぁ。
大学病院の術野は文字通り「血なまぐさい」思い出すと術野は真っ赤だな。
それを考えれば「出血は100から200ml」となるのかなぁ?
ちょっと昔過ぎて現実感がありません。
100mlの出血って、かなり凄いですよ!(滲むというより、どばどば出ているってレベル)
術中の出血は看護師がカウントする(実際には使用したガーゼの重さを測定して「出血を吸い込んだガーゼの重さー元々のガーゼの重さ」で測定します。
今のシステムでは10ml以下は「出血少量」と表現され、それ以上は具体的に「出血量○○ml」と報告されます。
無論全て「出血少量」なので、(たまに前医から取り寄せた)手術記録の欄に「出血量50ml」などと記載があると、『随分出血してるなー。それでいいのか?』と正直ウンザリするのです。
↑
これを見てもらえば、このQAの『出血量は100から200mlの出血』というその医師の発言に(文字通り)腰を抜かしたのもご理解いただけると思います。
普通に考えて「出血量が多い」ことが身体によくないことは解ると思いますが手術における出血の罪悪はそれにとどまらない。
特に癌の手術における出血は
出血=手術の精度=手術の出来=再発リスクの差
となります。
まず手術1では出血について
今週金曜日の「動画配信」では、これを図解して(以前にも似たような図で説明したことがありますが)配信します。
このコラムでは、ここまでとします。
手術は、この後シリーズ化され手術2以降は具体的な術式などに対する「本来あるべく手術手技」について深入りしていきます。