昨日の「ブラック太郎」さんのコメント
大変示唆に富んだものでした。
(おそらく)誰しもが『何か、改善できないかなぁ。』と(意識下、もしくは無意識下に)漠然と思っていたのではないでしょうか?
〇 乳プラ改変
これに関しては、(ひとまず)「今週のコラム」を利用して近々「たたき台」を出します。
最初からすべてを盛り込めないと思うので(例えばQAに質問する前に「(整理した)あるあるQ」の画面に入るなど)、最初はがっかりするかもしれません。
ただし、本当の改変はその先にあります。
その「たたき台」に対して「具体的に」指摘いただき、それを(管理者と一緒に)付加していくという作業は暫く行うようにしたいと考えています。
たとえば
1.QAの質問に入る前に、(分かりやすくした)「あるあるQ]の画面に入るようにするとか
2.アンケート
3.患者さんのマッピング
4.手術の(現時点での)待ち時間の目安
その意味で、「たたき台」を掲示した段階で、「新、ニュープラ改変スレッド」を立てるつもり?です。 その際にはよろしくお願いします。
〇 掲示板改変
私の頭の中では、これに最も興味があります。
皆さん、どうですか?
Key wordは「混ざらないようにする」では? 乳癌の治療も「局所」と「全身」を分けるようにね。
「one teamの皆さんの交流の連絡専用」も、ありだと思うし、「あのQAについて」みたいなものがあると、皆さんからの「あのQAの回答、ちょっと何よ!酷いんじゃない。ぷんぷん」みたいなものがあれば、(それに対して)私が説明(釈明)することで、よりよい乳プラになっていくかもしれません。
掲示板の最大の利点は「双方向」であること。それを最大限に生かすアイディア。皆さんの中にきっとある筈です。
やぁ、下界は「ブラック太郎」さんの登場で活気を取り戻しそうじゃ。
やはり人は財産。「あおっち」さんも相変わらずするどい。
これから、忙しくも楽しくなりそうじゃ。
そんなパンチのある夢を今日は聴きたいのぉ
nayk🗻
私はプチよりは遠く遠方と言うよりは
ちょい遠方
東海地方の富士山がよーく見える地域から通院している。
経緯
A医(特に評判なし)
7年程前頃、地域の少し大きな外科のある病院。一応乳腺外科とある。
年1の検診の為にマンモとエコーを一緒に受けられるから…という理由で行く。この時点では異常なし。
3〜4年程前、乳頭分泌があり乳がんプラザを見始めた。そして、技師さんのエコーではない、評判が良いと聞いたB医へ転院する。
B医(厳しいとと有名)
脇だけコロコロしたモノを触る気がして、受診。ドクターのエコーの為、ココです。コレ気になります。と話してエコー。
マンモにも何も映ってないし、エコーも問題ない。脇のは水が溜まっていると言われた。異常なし。気になる所があればまた来て。なければ年1の通常の検診で良い。(結果から言えばこの時点で所見あったそうだ)
翌年忙しさにうっかり1年半開いてしまったけど検診を受けに行く。
マンモ撮影の時点でドクターが様子がおかしい。エコーがやたら長い。相当長い時間をかけてエコー長くしたた後
○○さん。これは乳がんだと思う。すぐに紹介状用意するから。
もう、がーん。ギャグではなく、本当に頭を何かでがーん!と殴られた様な衝撃。
パニック。
きついと有名なドクターが、めちゃ優しく声かけてくる。余計に混乱。
しかし、このドクターすぐにC医に最短で予約入れてくれ、数日後に大きな総合病院C医へ。
C医(腕は良いが厳しいと有名)
診察室へ入るもこちらを殆ど見ず、パソコン画面を見ながら話をする。
マンモとエコーとCTの後検査。
エコーは技師さん。
ここで私は、ん?ん?
まぁ、総合病院、こんなもんかな…。
またマンモ?
最新の機械だから…みたいな説明された記憶。
よくわからないけど、撮影しないと話が進まないので、受ける。
CT受ける。
その画像見ながらリンパにも広がっている事を説明され、皮膚としこりのパチンと鳴る検査を受ける。
痛かった。痛いって言ったら、は?って言われ局麻を追加してもらいようやく落ち着く。その後は痛くなかった。
この時、前回の検診で所見があったのになぜ1年以上たったのかと言われ、異常なし診断だった旨伝えると首を傾げられた。
次回結果。サブタイプなどがわかる。
この辺りで、既に田澤先生の存在が頭に浮かぶものの、予約取れるのか?通えるのか?C医も腕が良いと有名。田〇先生がQAで仰る治療方針が出るのではないか?と淡い淡ーい希望をまだ持っていた。
次回PET予約。
ん?と思うが、とても言い出せる状況ではない。
この時点でセカオピ予約。
PET最後まで迷いつつも受ける。
この検査日、ドクターには会わない。
セカンドオピニオンなら何とか言える!今日しかない!今しかない!転院ではなくセカオピなら言っても良いだろう!
乳腺外科での受付後、勇気を振り絞ってセカンドオピニオンの資料をお願いしたい旨申し出る。
え?東京?と言われるが私にはもう今引っ込んだら絶対に言えなくなるだろう。という直感があった。この日の私、偉かった!
PET受けて帰る。ぐったり。
PETの結果を聞きに行く日。緊張する。〇澤先生は初期治療の段階で遠隔転移は滅多にない。と仰っているが、それでも(滅多に)の方に入ってしまったら…と、根拠もないのに想像力が豊かすぎてしまう。
QAにてドクターに聞くべき事を頭に入れ向かった。そのQAから術後の通院についてコラムにてまとめていただいた。
今週のコラム 160回目 『術後、何回受診が必要なの?』『放射線や化学療法は地元でもできるの?』
頭の中には田〇先生から聞いた確認事項が入っている。でも緊張で忘れるかもしれない。メモも持ち入室。既にドクターはセカオピについて聞いているからか、いつもの3割増でキツく感じる。聞きたい事の半分も聞けない上、凄い物言いだ。
トリネガ、高ステージ
オペ先行できなくないがサブタイプとリンパ所見の為術前抗がん剤半年→オペ→術後抗がん剤→放射線の提案。オペは腋窩郭清あり全摘。レベルいくつまでとは最後まで明言せず。
最初はECではなく年末年始挟むからというナゾの理由を提示されDDECを提案される。
この時点で
アカン!コワイ!怖すぎる!QAでよく見るセリフのオンパレード。しかも、術前に半年で術後も抗がん剤の提示は、適応外診療のゼローダを使うのか?と、QA見ていて良かったと心底思う。
そして、セカオピについて言及される。
どこへ行っても同じ事言われるだろう。
治療が遅れる。
もし東京行っても、また通う時大変だからって、ここには絶対戻ってこないで。
ここで治療するにしてもセカオピで遅れた事により転移が進んだとしても、アナタの責任だから。
泣きながら診察室を出る私を看護師さんが慌てて追いかけて来て、必死にフォロー。はぁ。
1週間後セカオピに江〇川へ。12月の頭、水曜日の夕方。すっかり外は暗く静かな病院。通院時間は把握した。通えそうだ。
いよいよ呼ばれた。
田〇先生に説明され、セカオピの為診察はなし。翌週診察。
全く別の理由、皮膚の理由から術前抗がん剤スタート。放射線については江〇川か地元か保留にしてもらった。
3週1回。必ず田〇先生が緊急オペ枠を確保した上でエコーで様子を確認してから投薬。この事項の大切さは、当事者になって実感した。
3カ月EC。通いでも大丈夫。吐き気止めや必要な薬を出して頂いて、宛先なしの紹介状も出して頂いた。プリントで必要な事はきちんと説明してくれたから、不安はなかった。説明を受けた日辺りから、しっかり脱毛した。新幹線で休みながら帰れるから、地元で車通院よりラクだったと思う。
EC無事終了。術前検査を終え、タイミング良く長男の卒業式にも、何の問題もなく出席できた。卒業式の感動と、無事に出席できた喜びで、感謝しかなかった。
手術全摘、腋窩郭清レベル3まで。
執刀田〇先生だから不安はないものの、切る事は初体験。緊張しっぱなし。朝イチのオペで私は助かった。
ベッドからオペ室まで歩く時、看護師さんに手を繋いでもらった。温かい手だった。夕方オペ室の看護師さんが凄く緊張してたみたいだったからと顔を見に来てくれた。ケモ室看護師さん、入院時担当看護師さん、オペ室看護師など、院内のスタッフさんが本当に親切だった。
夜先生がいらっしゃって腕上げ。動く。あがる。やっぱりあがる。すごい。吐き気はなかったものの、夜まで痛みに苦しんだ。が、朝には平気だった。朝食が美味しかった。先生にペタペタと処置していただいて例外なく私も無事に退院。
翌週術後病理の結果を聞きながら残りの抗がん剤の話を聞き放射線は地元にしたい旨伝えてDTX(だと思う)を3カ月。こちらも通院。
何の問題もなく無事終了。半年1回の定期検診の予約を入れて終了。
放射線は地元の隣市の総合病院にてトモセラピーを受ける。
無事終了して、今半年1回の定期検診を受けて2回目が終了したところ。
通院は
車→新幹線→JR→バス→江〇川病院
片道2時間半弱
1回の通院で交通費1万5千円程(駐車場込み)
高額医療費の申請
医療保険(がん保険未加入)でギリギリ賄う事はできた。
抗がん剤も放射線も高いが、検査が案外高い。
その他出費
ウイッグはネットにも安い物は沢山あるが、試着したかった為3万弱位の人工毛の物を地元で買った。お店の方が同病経験者で、色々対処を教えてくれた為、安心した。
安いのを色々買って楽しんでも良かったかもしれない。
抗がん剤通院時どうしてもお昼はまたぐ。数回食堂で山菜そばを食べた。後はおにぎりやランチパックを持ち込んで、ソファのある所でよく食べた。小さめの本や新聞もよく持っていた。
入院時のパジャマだけ新調した。(家のパジャマはかぶるタイプだった為、前開きのが良いと思ったから)
スマホのバッテリーを2つ程準備した。
今思う事
地元か江〇川か迷った理由は2つ
遠方で通いきれるか
治療費+交通費の出費
この2つのみ。
色々調べた。保険屋さんにも相談した。(案外これが良かった。セカオピは患者の権利である事。診断一時金などもきちんと確認して把握した為決断できた)
日々QAを見て、過去のコラムやブログもじっくり見返して、私はあのまま地元で治療していたら、不安が増幅していたであろう事は容易に想像できる。
地元C医は一緒に行っていた主人に、
自分が信頼出来る先生の所で治療した方が良い。お金は多分どうにかなる。生きていてさえいてくれれば、それで良い。
とセカオピから帰ってきて相談した時に言われた事で決断できた。
今思えばC医にも感謝している。QAで見ていたまさかの治療を提示してくれたお陰で江〇川へ行く決断へ踏み切れた。C医に私以上の不信感を持っていた主人が迷っていた私の背中を押してくれた。受験生の長男は、オレは自分の事がんばるから、お母さんも治療頑張って!と自分の事だけで必死で良い時に家事も手伝い文句1つ言わなかった。小学生の次男は最初は泣いたものの、お風呂掃除をやり、宿題や学校の支度を私が言われずともしっかりやって、配膳の手伝いなど積極的にしてくれた。
地元で治療を勧めた人もたくさんいるけれど、今はみんなオペ後の私を見て東京で正解だったと言っている。母は知人に江〇川を紹介したらしい。私の一年前に地元のが○センターでオペした方は今でも患側の動きは違和感で、つらいらしい。
再発したら通えるか
ではなく
再発しない為に最善を尽くすにはどこでどうオペしてもらうべきか
これに尽きると思う。
もちろん10年後の卒業を無事に迎えたいが、それまではやはり、緊張感はあると思う。再発の不安は卒業まではやはりぬぐい切れないかもしれない。
けれど、オペは本当に大丈夫だったのか?治療は適切だったのか?と不安を抱えながらの10年と、最善のオペを受けたのた!適性な治療を受けたのだ!という10年は、別物だと思う。
私の地域は遠方とも言えない位の本当の遠方から通院している方々が沢山いらっしゃる。大丈夫。通院は可能だ。
不安を抱えている方々
確定診断のみ
手術のみ
確定診断→手術→抗がん剤まで、放射線地元
確定診断からフルコース
など、状況に合わせて相談に乗ってくれるし、確定診断なしには治療は始まらない。
少なくとも新幹線で1時間半以内の距離は確実に難なく通院可能。
この投稿が参考になるかは不明だが、勇気の一歩を踏み出す後押しになれば…。
遠方の患者さんの想い
自分なりに把握していたつもりですが、改めて強い思いを感じました。
ご家族のくだりには熱いものもこみ上げてきました。
それだけの想いに応える事。その思いを新たにした次第です。
『再発したら通えるかではなく 再発しない為に最善を尽くすにはどこでどうオペしてもらうべきか これに尽きる』
⇒まさに、それが私の使命です。
皆さんには「その時点のベスト」を尽くしてもらいたいのです。