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乳癌手術のブログ 2020/8/1  その後の患者の運命までもが大きく変わるんだという事を実感

「ミーンミンミンミンミンミー」

医局の窓からセミの声。

空も明るい8月1日。

気象庁が何を言おうが、「夏」でしょ。

フジファブリックの「若者のすべて」を聞きながら、このブログを書いています。

夏と言えば、これでしょ。下っ腹にズンズンくるサウンド。

あっ、でも『真夏のピークが去った。天気予報士がテレビで言ってた。』『最後の花火に今年もなったな。』夏の終わりの歌か。

 

『何年経っても思い出してしまうな』

その歌詞に後押しされるように1985夏を思い出していました。

〇 笹川流れ

新潟にゆかりのある人?なら、きっと一度は行った事がある「とても美しい海岸」です。

友人たちは皆部活はバラバラ、私はバレー部(前に言いましたね)、陸上部のAは体操部も兼任する「運動神経の権化」そして彼は私に、あの尾崎豊を教え(後に一緒にコンサートに行きました。さらに『湘南爆走族』の面白さも彼からでした。

剣道部のBは「ボビーに首ったけ」の野村宏伸にそっくりだった。

片岡義男の世界。 少年なら誰しも憧れますね。そんな真面目な彼の口癖は『棒さえ、もっていれば不良に絡まれても絶対に勝つ』

ボート部のCは中学時代少し不良がかっていたという意味で私に一番近かった。グループ内でも彼と二人で遊ぶことも多かった。

かつて私の家に泊まりに来た時に(眠いから普通に寝ようとした私に)『寝るんかい? 普通夜通し語ったりするだろ?』思い出します。

卓球部のDは太っていたけど、荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」が踊れるお茶目な奴だった。

そんな5人でテントをもっての夏旅行。

ラジオからはPL桑田清原の快進撃。そして「御巣鷹山」

一泊は民宿、そして一泊はテント。

近くに見える「淡島」を見て、『俺らなら、泳いで行けるだろ?』『余裕だね。』

そんな運動自慢の5人だったのです。

「ある夏の思い出」第1章 完 (もしかして)2章もあるかもしれません。

 

新たな『遠方スレッド』が、届くまでは、しまっていたハガキから、厳選して紹介していきます。

 

 

年齢 50-59歳

入院期間 3日間

痛み 5(手術後) 1(術後2週まで)

乳がんプラザでは疾患について学ぶことができたこと。質問メールでは迅速に返答して頂きとても安心できた事感謝しております。

今回悪性葉状腫瘍にて2回手術を経験して思う事は意志により術後経過の違い、その後の患者の運命までもが大きく変わるんだという事を実感しました。2回目の手術を先生にして頂くことができ本当に良かったです。ありがとうございました。

先生!!これからも病気に苦しむ患者を一人でも多く助けて下さるようお願い致します。

江〇川病院のスタッフ(NS)はとても優しくお世話になりました。

 

その後の患者の運命までもが大きく変わるんだという事を実感

⇒これは、日々実感します。

手術には取り返しが(通常)つきません。

後悔のない選択をされることを(経験すればするほど)切に願います。