雨の土曜日、湿気が強くて天パの髪が凄いことになってます。(冗談です)
それぞれの村上春樹がありますね。
「風の歌を聴け」かなり初期の作品。主人公が作者自身を投影していたような。(とても曖昧な記憶で、すみません) 結構いい作品でした(全く具体的な話が出来ずすみません)
「海辺のカフカ」 これも結構好きな作品です。未成年の男の子の成長を描いた比較的理解しやすい作品。サーキットトレーニングしていたのが記憶に残っています。
などと、(書いてみて)書評に文才がないことがはっきりしてしまったので、今日はここまで。
北のフネ⛄️さん。
『帰り道『○○○○』の横を通るのですが、その白亜の建物を眺めながらいつも思うのです』
⇒私も一緒です。
(一文字だけ入れると)〇〇有○ですね? あれ? 同じようなことを誰かからも聞いたような…(覚えてますよ (笑)
『尊敬する先生との出会いがあったから今がある。ちゃんとしたやり方を知ればDr.Tの素質を持つ先生は少なくないのじゃないかと思うのです』
⇒これについて一言コメントさせてください。
当時(今から、数えると17年も前になります)、東〇公〇病院は「乳癌の聖地」 『何故、あんなに症例数が多いんだ?』大学医局でも常に注目されていました。
ただ、人がいつかない。
新人(といっても、10年目以上の医師ですが)が入っても、1年以内で辞めてしまう。
そこで私に白羽の矢がたった。
特別才気あふれるタイプでなかった私(自分に正直者といってください)ですが、我慢強く見えたのでしょう。
「3年は続かないだろう」周囲から、そう言われながら心の中で「ここで5年やれば一流になれる」そう、確信していたのです。
途中、東日本大震災もありましたが「きっちり10年」今の私を作ってくれたのです。
『Dr. Tの素質』? そんな大層なものではありませんが、強いて言えば「我慢」でしょうか?
東〇大学医局出身者でも、(殆どが)東〇公〇病院を通らずに巣立っていったけど、そこには歴然とした力の差が生じることになります。
私がリンゴの国へ赴任した際に、交代人事で(私の替りに)2人送り込まなくてはいけなかった事はそれを証明しています。
年齢 50-59歳
入院期間 3日間
痛み 1
〇/〇に右乳房温存手術をしていただきました。
術後が思った以上に楽でした。痛みは当然あるものの我慢できる痛みでしたし、痛み止めを処方して頂き、すぐに楽になりました。退院して1週間になりますが、多少の傷の痛みはありますがほぼほぼ以前と変わらぬ状態です。本当にありがとうございました。