連休明けの今日、重たい気持ちの方も多いのでは?
『火曜日から始まるってことは、(その分)1日早く週末が来る。ラッキー!』そう考えて頑張ろう!
それでは今日も思いの詰まった長い手紙を紹介しよう。
寒い毎日が続いております。どのように御礼を申し上げれば良いか判らず先ずお便りさせていただきました。先週〇日に先生に手術をしていただきました〇〇と申します。
翌日に退院し、水曜日から仕事に復帰しております。痛みは未だありますが、徐々に軽くなっているように思っておりますが、何よりこのような短時間で動ける自由を可能にしていただけたのは先生のお陰であると心から感謝しております。
手術当日は「一週間ほどは休まないと難しいかな」と思い頭の中で予定を巡らせていましたが、夕方にベットから起き歩き出すと途端に体が軽く感じた不思議な感覚は今でも鮮やかです。
医師による視触診や自己チェックで特段思い当たることなく偶然今年から追加設定のあったエコー検査から病気の発見に至りました。思いもよらないことで診断ばかりが先に進んで行き自分自身が全くついていけずこのまま終わっていくのではないかと心身ともに追い込まれておりました。
最初にかかったクリニックからは有名大学病院や専門施設を勧めて頂きましたが、検査のやり直しや誰が担当なのか不明になりそうなこと等々からも積極的に考えることが出来ず、かなり追い詰めた状態であったことから「これで終わりか」という考えも自分の中で占めるようになっておりました。
偶々、手術実績を紹介する記事で江〇川病院の存在を知ったのはその頃で、先生のお名前を知り、乳がんプラザにたどり着きました。そこで先生が全ての手術をお一人で担当されている事、また検査診察もお一人で担当されていることを知り、「難しいことは承知で一度可能なら診てもらいたい」と思いメールをさせていただきました。その翌日に全く予想外に速やかな対応をいただき、日程を提示して頂けるとは、本当に思いもよりませんでした。
もしかしたら、この選択が自分にとってターニングポイントになるのかもしれないと思った出来事でした。実は、初診の際に手術不能といわれるか術前検査、術前にもそう言われるのではと内心怯えるところもありました。でも気付いてみれば術後一週間経ちました。
以前のように好きな水泳が出来る日はないかもしれませんが、手術後に「悪いものは取りました」と言っていただけた言葉はとても大きなものでした。
診察から手術、また情報発信まで、本当に全てお一人でこなされ対応されていることを知り改めて「すごい先生が本当に実在されるんだ。」と感じております。継続しつつ、一方で改良されたり前進されている事にも心から感服しております。
どうも文章がまとまりなく枚数を重ねてしまいましたが、この度は本当にお世話になりありがとうございました。秘書室の〇山様にも大変お手数をおかけしました。取り急ぎ御礼を申し上げます。
寒さ増す師走、御身くれぐれも御自愛ください。
丁寧なお手紙ありがとうございます。
患者さんが「何を不安に思っているのか?」とても考えさせられました。
抜粋すると
1.有名大学病院や専門施設を勧めて頂きましたが、検査のやり直しや誰が担当なのか不明になりそうなこと等々からも積極的に考えることが出来ず、かなり追い詰めた状態であったことから「これで終わりか」という考え
2.そこで先生が全ての手術をお一人で担当されている事、また検査診察もお一人で担当されていること
医療界(特に外科系)の問題点がそこには存在しています。
手術は技術です。
その意味で(知識を集めるだけで、ある程度対応できる)内科系とは一線を画す領域とも言えます。
よく例えられるのが職人です。(ドイツのマイスター制度の例を挙げるまでもなく)いい腕の職人になるためには、「見習工」としての時期も必要だし、(それを経て)「熟練工」となったとしても、その先の「マイスター」までの道のりは遠いのです。
外科領域(手術)は(知識は大前提として)実践が欠かせない。
最初から実戦経験豊富な外科医など存在しない。
どんな熟練外科医でも、(若いころに)大学病院で医局長から「今日の手術は、お前がやってみろ。ただし躓いたら交代させるからな。」そう言われなかったものはいません。
患者さん側にとっては大変なことです。「たった一つの命を(言葉は悪いですが)見習工に預けなくてはならない」のですから。
ただ、大学病院側も「当院は教育医療機関だから見習工が手術する場合もあります」みたいに「(そんなことを)大々的に告知」するわけにはいきません。(そんなことしたら患者さんから嫌厭されることは目に見えているからです)
それを「当院はチーム医療で(多くの医師がかかわり手厚く)行っております」と、オブラートに含まざるを得ないのです。
☆「チームで行ってます」と言えば、「誰が手術をするのか?」患者さんに言わなくて済むからです。
かくいう私も(大学病院時代は)そのような形で手術をさせてもらっていました。
(明日手術という)手術前日に、突然チームリーダー(今では教授になっていますが)から『明日の手術は田澤君にしてもらおうかな。ちゃんと勉強してきてね。俺も前立として手術に入るから表面的には俺が主導で手術(執刀)というニュアンス(君が執刀医などとは言わないで)ね。』
熟練工となるためには、必ず通らなくてはならないのかもしれませんが、(作り直しの効く)鋏や包丁とは違って、人間の体だから「これで本当にいいのか?」そう考えて(少々、罪悪感を感じる)外科医も少なくはないでしょう。
ちなみに、(大学病院医局から離れて)東〇公〇病院に赴任した当初数年は殆ど手術をさせてもらえない時期がありました。
その意味では(当時の)東〇公〇病院は「本物の」職人だったのです。
H〇先生の教えは
『外来で自分が診断し、(自分が手術することを)患者さん自らが望んでいて初めて執刀させる』まさに徹底していました。
その意味で東〇公〇病院には「患者さんをだます(言葉は悪いですが)ことのないまっとうな病院だった」今でも私の規範なのです。
ただ、こういう方針が・
当院に若い医師が入ってくれない一因となってます。