シェルターガーデン日光
『今ではなく100年後のために』
そのホテルは日光東照宮とは川を挟んだ山(丘)の結構高い位置にあります。
その麓は東照宮へ向かう車やその観光客で喧噪に包まれています。
走って、その坂を登っていくと解ります。
途中まで聞こえていた喧噪が静かになり、(登るにつれ)鳥や虫の声さえも聞こえなくなくなり「完全な無音」となります。
無論この音の変化は車に乗っていては感じることができず、ランニングで登ってこそ感じられるものです。
♯坂の途中には別荘が点在していますが、決してその住民と出くわすことはありません。
ただただ、無音が続くのです。
そんな自然の中にいると『100年後も変わらないシェルター(安息地)とガーデン(原生林)を目指して』というコンセプトにどっぷり嵌ります。
また来たくなるホテル、『また来ちゃいました!』
変わらぬスタッフの笑顔、そしてその居心地の良さ!
忘れてならないのは、旨い料理!
まずは、ここからスタートです。
期待は高まります。
勿論、スープも一級品!
この辺りではワインもすすんできます!
モレ・サン・ドニ
赤ワインが有名ですが、Corton-Charlemagneが手に入りにくいとの事で(替りの白ワインとして)お知り合いのワイン専門家(ENOTECAスタッフとのこと)に勧められて今回新たにワインリストに加えられていました。
素晴らしい白ワイン! Corton-Charlemagneも、真っ青です。
魚料理は(確か)アオダイ
初めて聞く魚名でしたが、とても美味
栃木牛に、言葉は要りません。
すでにモレ・サン・ドニを堪能した後だったので、このあたりは追加のグラスワイン(赤)へ移っています。
すでに酔いも最高潮に達しているので、その後のデザートの写真はありません。
「和食にしますか、洋食にしますか?」
ホテルで訊かれる(もしくは自分で選択する)
それが普通ですが…
このホテルの朝食は「和洋食」なので、そんな悩みは不要です。(しかも、とっても旨い)
あれから1週間。
あの食事を思い出すだけでも、出会えてよかった!そんなホテルです。
注)私はホテルの関係者ではありません。
と、少々前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
○ 本文
動画配信「再発乳癌(実際は転移性乳癌の誤りでした。訂正してお詫びいたします。♯1
) 負けざる者たち2」
♯1 初診時に遠隔転移を伴っている場合には「転移性」乳癌といい、術後に遠隔転移が顕在化する場合の「再発」乳癌とは呼び方が異なります。
生配信に参加いただいた多くの皆様、感謝いたします。
経験こそ、上達の近道!とこころえ、これからも継続します。
この「負けざる者たち2」で伝えたかったことは、
「どーせ治らないから」と諦めずに、(可能な限り早期の)「cCRの達成」が重要
cCRを達成してしまえば、その後は(それを維持する)治療に選択肢が生まれる。
その所謂「維持療法」としては
LUMINAL typeであれば、CDK4/6 inhibitor+hormone
HER2 typeであれば、phesgo(trastuzumab+pertuzumab)
↑
これらは、副作用が殆ど無い(少なくとも十分に許容範囲)ため、長期維持が現実となっています。
其の意味でtripple negativeには、そのポジションとなるKEY DRUGが現時点ではないのが寂しいところですが、(効果的な)短期間抗癌剤などが現時点では選択肢となるでしょう。
「負けざる者たち 2」を見て、『cCRを実現したって、本当にそれを維持できるの?』
きっと、そのように思った人たちもいるでしょう。
そんな「あなたのため」に、今回のコラムはあるのです。
転移性乳癌 負けざる者たち3
転移性乳癌 手術不能(胸壁浸潤)+骨転移
手術不能乳癌
腫瘍は胸壁にガッチリ浸潤し固定(動かない)されています。
皮膚潰瘍も伴っています。
骨転移(骨シンチ 正面と背面)
両側股関節+大腿骨に転移
治療の選択
ここが重要なところ!
ガイドラインでは、このような「転移性乳癌(遠隔転移を伴う乳癌)」に積極的な治療を必ずしも勧めていません。
手術の推奨はなく、基本的にLUMINAL typeであれば(一昔前は)hormone therapy (現在は)CDK4/6 inhibitor+hormone therapyが薬物療法の第1選択となっています。
この「まずはmildな治療から」という、考え方は「遠隔転移では(根治はないから、それは狙わずに)身体に楽な治療から始める」という考え方が根本にあります。
これは(私から言わせれば)薬物療法がここまで進歩する前の「負の遺産」と言えます。
とは、言えこれを信じるためには実際にcCRを作り、それを長期維持した「成功体験」が必要であり、それがない医師には提案されえないと言えます。
幸い私には乳がんプラザがあり、そのため(地元で「治らない」と言われたけど)「治したい」として転院してきた方達が多くいらっしゃるため、(普通では考えられない数の)そのような症例を経験できるため、(それによる)成功体験も豊富なのです。
時々感じるのは(地元では無敵?の)○○癌センターのトップの医師から言われたことと何故そんなに違うのか?何故そんなに自信があるのか?
と、言われることがありますが、こんな特殊がなせる技と言えます。
もしも、「楽な治療から」始めて、「悪くなったら、徐々に治療強度を上げる」ような方法をとっていったとしたら…
そのタイミングにもよりますが、
いずれ、胸壁浸潤した腫瘍は、このようにPS(胸骨傍リンパ節)転移をおこしたり…
胸壁に直接浸潤した腫瘍が胸壁剤に拡がり「癌性胸膜炎」となったり、
このように、すぐ裏側が心臓なので、心嚢膜へ浸潤し、「癌性心嚢膜炎」を引き起こす可能性も十分にあります。
★私は仙台時代に、このような癌性心嚢膜炎となった患者さんを経験したことがあります。
心タンポナーデとなり、心臓が動けなくなるのでとても悲惨な最期でした。
ただ、この患者さんは(強力な抗癌剤 bevacizumab+paclitaxelにより)手術可能状態とし、手術して摘出しています。
これにより「癌性心嚢膜炎」などのリスクは永遠に消滅しました!
更に、骨転移部位には照射したことで、待望のcCRとなっています。
これだけの骨破壊があったので、照射もせずに弱い治療をしていたら、病的骨折で歩行不能となっていた可能性も十分にあります。
cCRとなり、その後CDK4/6 inhibitor+hormoneとしてから早、6年。
cCRの状態を(殆ど副作用のない)CDK4/6で維持している。
繰り返すようですが…
「もしも」他院で『どうせ治らないからホルモン療法で治療開始しましょう。(当時はまだCDK4/6がガイドラインに登場する遥か前です)』などとしていたら・
今でも私は確信を持っています。
抗癌剤+手術+放射線 この1年間がその後の人生を変えたのだと…
負けざる者たちとなるためには、この1年間こそが重要だと、私は信じています。