オクラ、納豆、卵の上に鯛と金目鯛
冷凍の「刻みオクラ」とっても便利!一袋丸ごと使ってマス。
ザ・和食! 白いご飯で戴きたいところですが、なぜかラーメン
トーストと相まって何とも統一感のない昼食ながら私の土曜日を彩っている個性派ぞろいなのです。
そして日曜日
バームクーヘン達に混じって(ファミマの)ホットビスケット
○ 本文
1月8日の掲示板(3週間前)より抜粋
市川外来
「2か月前に(前医で)細胞診で良性、線維腺腫と診断された」として受診された患者さん。
「線維腺腫(良性)と診断されたけど、気になるので別の医師にも診てもらいたい」と当院を予約したようだ。
上記内容を聞いた時点では、「随分、慎重な人だな。キャラクター(心配性)なのかな?」(『まぁ、線維腺腫でいいと思いますよ』って、なるんだろうなぁ)と思いながらエコーを開始。
すると、驚くことに…
『癌を疑います。』その数秒後に私は患者さんにそう伝えていました。
画像は「境界不明瞭」で「縦長」カテゴリー4(4とは言え、限りなく5に近い)
★因みに(私の感覚では)カテゴリー5は「凄いスピキュラのあるもの」であり、それ以外では「癌だろう」と思っても4にとどめます。
以上、皆さん覚えてますか?
私は(勿論)覚えていました。(と、いうか)病理結果を待っていました!
そりゃ、気になるよね。
他院で細胞診までして、(自信を持って?)「線維腺腫」と言い切ったのだからね。
でも、改めてエコー像を見ると、(普通に)「癌じゃないの?」って所見だけどね。
で、結果はどうだったの?
病理結果は…
(患者さんにとっては)よくないことだけれども…
やはり(見たまんま)癌の診断となったよ。
CELEROで(通常通り、念には念を入れて)3本採取したけど、3本共に「何の疑いもなく」乳癌の診断でした。
純粋に疑問なのだけど…
あんたが3本採取して「3本ともに」病変(癌)が取れていたのに、(前医は)何故外したの?
これが、例えば「3本採取して1本だけに(しかも)ごくわずかに癌疑いの組織があります」みたいな結果であれば、『あぁ、採取が難しい腫瘤なんだろうなぁ』と、多少は納得できるけれど…
本当に疑問だよね。
これが5mm程度なら(乳プラでもしばしば取り挙げているように)平気で外す医師がいるのは(極めて残念なことだけど)まぁ理解できるけれど…
このケースでは15mmだからねー。
チョット、想像できないというか。
『あー、あの日は(占いでも)大凶の日で、(しかも)実は体調が悪くて40度の熱がある中で行ったからねー』などと、言い訳をしたとしても(全く)この医師を信用することは(今後)不可能だよね。
(一般外科医ではなく)乳腺外科医なんだよね?
研修医? かなりの若手?
それだったら、まだ救われる(患者さんにとっては「たまったもんじゃー無い」けれど)と言えるけれど、
私はその医師の経歴を(偶然にも)知っているのだけれど
あるがん専門病院なるところに在籍していた(それなりの)ベテラン乳腺専門医なんだよね。
あちゃー!
(こういう医師には)どうしたらいいのだろう?
(その医師には)嫌われるかもしれないけど…
指摘してあげることが「患者さんのため」だと思っている。
今回のケースは(その医師からの)紹介ではなく、患者さん自身が不安となって(その医師には内緒で)当院を受診しているので…
本来、(紹介状の返事のように)報告する義務はないのだけれど…
(返事ではなく)報告書として
★ 貴院で線維腺腫の診断で経過観察となった患者様が○か月後に当院を受診、画像上癌を強く疑ったので組織診を行い癌と確定しました。
お伝えしておいた方がいいと思いご報告する次第です。
↑
このようにしようかな。と思っています。
(これに対して)どういう反応を起こすのか?
(それは無論解りませんが)これを機に、組織診に真剣に向き合うようになってほしい。ただそれだけなのです。
んー。
(あれで外す位だから)今までも多くの患者さん達が「良性」⇒暫く経過観察の後に「あっ、やっぱり悪性でした。 癌化したんですねー」と言われてきたんだろうねぇ。
そのように言われた患者さん達の中には、(上手く丸め込まれて)納得した人もいれば、(納得できすに⇐当たり前ですが…)憤った人もいたのだろうなぁ。
この医師自身も、そんな(ジェットコースターのような?)ハラハラドキドキするような診療(患者さんによっては腹を立てて、トラブルになったこともあるのでは?)をするよりも、「正確な手技」を身につけて(患者さん共々)win winな診療をできた方がいいと思うんだけどなー。
ところで、表題「何故それらの医師は外すのか?」の回答が(このコラムの中には)明確には無いような?
残念ながら、そこに回答は無いのだよ。
強いて言えば『自分が最後の砦。もしも自分が外してしまったら、それを正せるものは自分しかいない。』という覚悟の欠如かなぁ? 常にその覚悟(スラムダンク流に言えば「断固たる決意」)をもって全ての患者さんに向き合わなくてはならない。
この「最後の砦」でいつも思い出すのは、点滴
このコラムを読んでくれている読者?の中にも入院中の(手術前の)点滴で看護師から何度も?外された経験をお持ちの方もいるでしょう。
その担当看護師が5回も、6回も点滴を外した際に我々「主治医」に白羽の矢があたるのです。
実際には点滴を行うことは医師には殆どなく、(日常業務として行っている)看護師の方が慣れているのは間違いありません。
ただ状況として医師が呼ばれるわけです。
そんな時、私はこう思います。
『看護師が失敗して、私に替わった以上、私が最後の砦だ。絶対に外さない!』
その医師に欠けているのはこの「最後の砦」意識なのかもしれません。
★ここからは私見です。
「がん専門病院」なら(乳腺外科医が)10名以上も居る病院での経験は、決して「最後の砦」という意識を生まなかったのでは?
自分が失敗しても、(自分よりも)上手い医師がいる。
その意識の違いなのか?
追記
『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? (Why Didn’t They Ask Evans?)』
今回の表題から(アガサ愛読者の私には)すぐに上記タイトルが想起されます。
「つかみはOK]という俊逸なタイトルである、この本に対し「何故それらの医師は外すのか?」の主人公はどうにもなぁ…