昨日で「あの震災」から6年が経ちました。
仙台で震災を迎えた私にとって、「あの日」のことは決して忘れることのできない記憶です。
ちょうど手術中でしたが…
(誇張なしに)「グラングラン」揺れる手術台に掴まって「手術台が倒れない」ようにしているつもりでしたが、(今考えれば)「自分自身が倒れない様に手術台に掴まっていただけ」だったのかもしれません。
とても「長い、長い」時間であり、(途中から)「これは、とんでもない事が起こった」と。
○いったい、外がどうなってしまったのか?
もしかして「世界が終ってしまっているのでは?」その現実を見たくなかった自分がいました。
その後、仙台で(極めて順調な)「復興の様子」を見てきた私にとって、「福島では(それが)始まってさえいない」現実を(昨日、NHKで見て)少なからず衝撃を受けています。
(ちょっと、一息のコーナー)
ラジオで流れてきたshort story
先生
「それでは、太郎君 次の文章を過去形にしなさい。」
「I go to Tokyo」
太郎
「はい、先生!」
「I go to Edo」
またまた「乳頭分泌」
この1週間だけでも、私のもとには様々な「乳頭分泌」が溢れています。
様々な誤解、「無駄な心配」をされる方が溢れている一方で、(本来診療されるべきものが)「きちんと診療されずに放ったらかし」にされている。この両極端!
あぁー(私の嘆きです)
これではいかんな!
乳頭分泌について今週のコラムで(またまた)取り上げよう。そう思いました。
まずは、管理番号「4448片側 多孔性 分泌?」からの抜粋
「片側多孔性なので心配ないでしょうか?毎日ではないが分泌がついています。 心配で抗不安薬ないと過ごせません」
○物事はシンプルに考えましょう。
一番問題なのは「物事をブラックボックスに入れてしまうこと」です。
「ネットで乳頭分泌は癌の兆候と聞いた」⇒「何故なのかは知らないが(これを「ブラックボックス的発想」といいます)」心配だ!
こんな「ブラックボックス的発想」は、もう止めましょう。
☆そうではなく、重要なことは「考えること」です。
「乳頭分泌」の『何を』気にしなくてはならないのか?
(ブラックボックスに入れることなく)「その理由を考える」ことです。
それは、「乳管内に腫瘍ができた場合、そこから分泌液が出る」ことがあるということなのです。
言い換えれば…
『乳管内の腫瘍を想像させる分泌なのかだけが重要』なのです。
そこから外れてはいけません
腫瘍が原因である分泌は「必ず1か所」なのです。
そして、その分泌は「腫瘍がある限り」継続します。
一過性で消失するような分泌は「乳管の傷」からのものであり、それは「傷は治るから」一過性で止まるのです。
(このように複数の腫瘍ができても)
それは、「一つの乳管系にできる」ものであり、決して「複数個所から」分泌することはないのです。
♯もしも複数個所から分泌しているとしたら…
それは、「乳管内病変が原因ではない=どうでもいい分泌」ということです。
○つまり、「1か所」であること、そしてそれは「継続(1か月以上)」すること。
それ以外の分泌を気にする必要は全くありません。
◎逆にいうと…
「単孔性の乳頭分泌」で「半年以上」も病院で「原因が解らないと経過観察する」ことは…
全く「馬鹿げた診療」と非難されるべきものです。
♯この状況で「乳管内病変を想像しない」ようでは、センスがないということです。