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乳癌手術のブログ 2020/8/18 夢の決意

みなさん、こんにちは。

皆さんの沖縄、興味深く読ませて頂きました。

何度も言っている割には本島にしか行った事がない私にとって「石垣」など離島の海の青さには心ひかれました。

いたるところにある、戦争のモニュメントは(見ると)いつだって心震わせられるものがあります。

地獄のよう(だったであろう)1945の沖縄戦と、今の沖縄の「リゾート感」

県民の方の想いと(我々)リゾートに行くだけの人とは、少し乖離があるのか? 米軍基地問題などいろいろ考えさせられます。

 

 

そろそろ「真夏のピーク」も去ってもらわないと、(いくら神でも)身体がもちませんな。

ただ、梅雨が長かった分もう少し夏を楽しませてもらわんとなぁ。

そんな中「ビシッとした」強い夢を聞かせてもらおうかのぉ

 

 

とんとこ

 

はじめまして。
通勤電車の中でこのページを開く日々ですが、活発な投稿の質と量に追いつくのが精いっぱいの日々です。この度のHP改変計画を楽しみにしております。

居住地の地理的条件や体調、職種、職場環境など大きく個人差があるので全ての患者さんにあてはまるわけではないのですが、乳がんに罹患したことであわてて仕事を辞めない、長期の休職をしなくても治療を受けられるという選択肢もあるということを知っていただけたらという思いから、あくまでも一例として勇気を出して送信します。

隣県在住の都内勤務者ですが、手術の入院は2泊3日、化学療法は通院での投与、放射線治療はトモセラピーを22時まで3台フル稼働と、田〇先生と江〇川病院は私の治療と就業の両立を可能にしてくれました。

市の乳がん検診で病気が発覚してからは、震える手でマウスを握りしめネットの情報を読み漁る日々でした。情報の渦で、標準治療、「切らずに…」「化学療法は…?」などなど、どれが自分にとって必要な情報なのかサーフィンどころか、情報の海をヨタヨタと彷徨っておりました。
素人なので、医療機関の公式サイトであること、医師免許を持った方が情報を提供していること、標準治療以外のものを推奨して“いない”ことを目安にしました。

数ある情報の中でこの「乳がんプラザ」は格別でした。現役の医師が乳腺に関するあらゆる質問に答え続けている(当時で6000番台の)Q&Aには圧倒されるとともに、一人の現役医師がセカンドオピニオンと変わらない情報を提供し続けていることに「うそみたい」と思わずつぶやいてしまったのを覚えています。「私も聞いてみたかった」と思う質問と答えが溢れていました。

検診を受けた病院で確定診断までの検査を終え、治療に入る手前で江〇川病院に転院いたしました。
乳がんだとわかった際、「がん」を自分の身体の中に置いておくことへの恐怖がありました。手術で見えるものだけでも取り除いてほしいと思いました。「私は乳がん手術を2000件以上おこなっており、正確な手技により短時間で出血のない手術を行っております。」と明言している「乳がんプラザ」の田〇先生の手術を是非とも受けたいと思いました。治療の途中で主治医が変わらないことを希望していたため「診断から治療、術後の診療まで(放射線科医や腫瘍内科医と緊密に連絡を取りながら)私が責任をもって一貫して行います。」との言葉に転院を決意いたしました。

田〇先生の「執刀は全て私」の言葉を頼りに手術希望メールを送り、秘書の方を通して受診案内のメールが届いた時の感激は今でも忘れません。転院の意思を伝えた際、治療が滞りなく進むようにその場で紹介状と全てのデータを持たせて送り出して下さった前医にも感謝しております。
転院に際し悩んでいた時に「命がかかっているんだ。遠慮している場合ではない。」という家族の一言が背中を押しました。自分を守るために自分でできることはやっていこうと決心が固まりました。

ネット検索で「仕事をしながら治療をした」という情報があり、自分も仕事を続けながら治療をできないものかと考え始めました。ただし、治療中の就業については自己判断ではなく、主治医が診察で私の病状を診断し就業可能と判断された場合のみと決めていました。

転院後の初受診で治療方針が決まり、手術の日程を中心に、術前検査、今後の見通しが立ち、効率よく治療の日程を組んでいただきました。

職場の上司には仕事を続けながら治療の予定であることを説明し、治療の途中で自宅療養が必要な事態が起きた場合は業務に支障が出ないように早目に相談しながら進めると伝えておりました。医療費の限度額適用認定の申請などの必要な手続きも並行して進めました。
私の場合は平日が休みにあたる仕事のため、職場で治療日に合わせて休みの日を調整していただきました。

手術入院は3日間、退院の翌日(手術の2日後)からフルタイムの勤務に復帰できました。術後の診察で通常出勤可と診断いただいていたことが大きな安心となりました。初日はおそるおそるでしたが、事務系の仕事にスムーズに復帰できました。

術後の化学療法は通院投与であったため、投与日と翌日を休めるようにしました。副作用が比較的軽い方だったので、多少の不調はありましたが仕事を続けることができました。化学療法を始める際も、田〇先生の「仕事をしながら治療している方はいらっしゃいます。」の言葉に、自分にもできるのではと思えました。投与前には必ず診察があるので、不調があればすぐに相談でき安心感がありました。

放射線治療は終業後の夜の8時半に予約をし、職場から電車を乗り継いで通院しました。自宅には22時過ぎから23時頃に帰り着く日々でした。通院時期が猛暑にあたり辛かったですが、自分を励ましつつ頑張りました。放射線科では治療中の医師の定期的な診察も夜間に受けられました。

病気になっても生活をあまり変えたくないとの強い思いから始まったことですが、治療と仕事の両立という忙しく大変な生活も「やってやれないことはなかった」というのが実感です。もちろん、仕事と治療以外の時間は家事を手抜きし休息にあてていました。というより「動けなかった」のが本当のところです。

余談ですが、自分へのご褒美に治療が一段落した後の旅行を治療中から予約していました。どうしても行きたかったので治療も頑張りました。その旅行で登った山の上からの景色は忘れられないものとなりました。

治療は田〇先生が当初に示されたとおりの経過をたどりました。これは偶然ではなく、主治医である田〇先生の高い専門性と「全てご自身の手で」との重い言葉を日々丁寧に実践され研鑽を積まれた豊かなご経験によるものだと思います。

私の治療を通しての目標は、毎回の診療予約日には欠かすことなく診察室の扉を開けられる患者でありたいということです。これからもそうあり続けられたら幸せです。

病気かもしれないと気が動転している方々が乳がんプラザに立ち寄ることで、正しい知識を得て自分に合った見通しが描けるようなホームページであり続けることを願っております。
田〇先生をはじめ、ホームページの改変にご尽力いただいている全ての皆様に感謝をこめて。