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乳癌手術のブログ 2020/8/14 夢の放浪

1985/8/12

前日に民宿に泊まった我々は、朝早くにはテントを借りて浜辺に立てていた。

 

笹川流れ

天気晴朗なれども波高し」ではなく、海は凪いでいた。

遠くには「淡島」がきれいに見ていた。

朝から海で泳ぎ、テントで寝そべる時間ももどかしく、トンネルに行き、そしてまた泳いだ。

いくら泳いでも疲れ知らずの健康な高校生だった俺達。

夕食に何を食べたかは全く記憶にないけど(この歳になると、昨日の夕食のおかずも思い出せない「あるある」とはちょっと違い)、そのころは「何を食べるか」は重要では無かった。

新潟の短い夏を惜しむ蝉たちのように、ただ騒いでいたかった。

今時の高校生なら(当然)スマホ持参だったでしょうが、当時ラジオも持ってきていなかったので本当に静かな夜。

テントの中で語り明かした?(不明)

ただ、覚えているのは満点の星空と、驚く程の「流れ星」の数。

何を願ったのだろうか? 「あの娘と俺は将来さえ、ずっと夢に見てる♫(尾崎 豊)」ではなさそうですね。

 

御巣鷹山

そう、その日は航空機史上(単独では)現在でも最悪の犠牲者を出し日航機事故の日。

毎年、この時期になると(この事故は)ニュースに出ますが、いつもこのキャンプとセットになって思い出します。

翌朝(8月13日)電車で帰途につくべく駅について、(はじめて)耳にするニュース

まだ(当然ながら)全容が判明していない、この事故のニュースと(対照的に明るい)PL(KKコンビ)の大躍進。

楽しい思い出と、その悲惨な事故は35年経っても風化しないのです。

 

プンプン

患者さん 『婦人科で検診に行ってきたんだけど、卵巣が腫れているって言われて、卵巣癌じゃないかってMRIと腫瘍マーカーをとられちゃいました。』

私 『あー、タモキシフェンあるあるですね。 結局疑い晴れたんでしょ?』

患者さん 『それが、そうじゃないのよ。私、乳がんプラザ見ていたから「それって、ノルバデックスによるものですよね?」って(その医者に)勿論言ったわよ。それでもね、「タモキシフェンで卵巣が腫れるなんて聞いたことがない。とにかくすぐ手術だ」って言い張るんです。』

私 『えっ? 今、乳癌増えているからタモキシフェン飲んでいる人も当然多いので、(その医者も)知ってそうだけどね?』

患者さん 『それが話にならないの。挙句の果てに「当院では手術できないから、手術できる病院、自分で探してきて」だって!もうプンプン』

 

つい最近の事でした。

いやー、本当に怒ってらっしゃいました。

無理もありません。婦人科学会で提言すべきでは?

★ もしも「卵巣癌」と言われて手術して、結局「タモキシフェンによる腫大」と(術後)言われた患者さんは全国に少なからずいる筈では?

そこで裁判になっていれば(さすがに)婦人科学会で「緊急提言」されそうなものですが??

 

 

神、再び降臨。

「降臨」って、こう書くんですね。

ワープロのせいで、どんどん書けなくなっていく私(そのせいにするな?)

昨日は、手書きの申込書に「歯科矯正」って書こうとして、書けないことに愕然(読めると書けるでは全然違う! 因みに、「愕然」も書けません)

どうしたかって? 「橋」という字に似ている筈だ!という願いの元、なんとなく「ごちょごちょ」と書きました。

最悪「歯科橋正」って書いてあっても、許してくれますよね?

そんな、情けない神じゃが、夢は楽しみじゃ(脈略不明)

 

 

Missy

 

 

『二度と失敗は許されない』その思いから新幹線を使って片道2時間半ほどの遠方ですが、江戸病院田先生に手術をお願いすることに決めました。
振り返れば自身でしこりに触れたのは癌と分かる約4年程前。その間2度地元の乳腺外科を受診しました。結果はどちらも良性。経過観察も必要なしでした。しかし、腫瘍がだんだん大きくなっていたのは感じていたので、改めて他の病院で診てもらおうと思っていましたが当時子供は小学校に上がったばかり。毎日は慌ただしく、なかなか受診することができず結果一年程放置することになってしまいました。
約一年後、近くで行われた市のがん検診を受診して要精密検査となり、前医で確定診断をしてがんと判りました。その時は、「なぜ直ぐに違う病院にかからなかったのか」と言う後悔の念と、「腫瘍があるのを解っていて不安に思いながらの生活にピリオドが打てる」と言う安堵の気持ちが交錯してとても複雑な思いでいましたが、同時に「まだ間に合う」「次に失敗しなければ必ず助かる筈」と言う強い思いもありました。
一度失敗してしまったと思った私は、今度こそ絶対に失敗は許されないと言う強い思いで一緒に闘ってくれるサムライDr(この言葉は、この掲示板で言われてる方の表現を使わせていただきました。)を探して、その先生に主治医になってもらおうと思いました。
先生を知ったのは前医で確定診断をしてもらう時に待っていた待合室ででした。
ラッキーにも直ぐに乳がんプラザに辿り着き、先生のQ&Aを知り、たくさんの質問者の方に丁寧にそして自信を持って回答されている先生に「この先生信頼できるかも?」と直感的に思いました。ブログやコラムも病院を決めなくてはならない時間との闘いの中で読み漁り、先生のコラムを読んでその殆んどが執刀医としてお願いしたい想いに繋がりましたが、なかでも今週のコラム(当時私が読んだものなので早いno.です)45(エコー)86(深部側断片)118(胸壁再発)98,146(OncotypeDX)121(抗がん剤)138(副作用)QAの回答の「部分切除の場合は乳頭裏まで切除すればいいのです」には心を動かされ、本当によくご研究されてる先生。きっと画一的ではないオンデマンドの治療をしてくれる筈。その思いと共に秘書メールを送りました。
秘書メール送って直ぐに『メールは全て田医師が見ます。診察、手術等で少々お時間をいただくかも知れませんが必ず返信致しますのでお待ち下さい』と言う内容(しっかりと覚えていなくてスミマセン…)の返信が届き、とても安心し、誠実な先生と思いました。
初めて田先生にお会いした時は、物静かでちょっと無愛想な先生?(先生スミマセン…)と思いましたが、私の纏りのない質問にも嫌な顔一つしないで丁寧に一つひとつ答えて下さり、また、不安を煽るような余計な事は一切言わない先生で、確定診断をしてもらった先生には、骨髄転移はどうか?と言われていたので、そのような事を何も言わない田先生にはとても落ち着いていられることができ、今思えばそれはとても幸せなことだったと思います。
唯一気になったのは片道2時間半程かかる遠方と言うことでした。
通い続ける事ができるのだろうか
ここ江戸病院乳腺外科は、遠方からの患者さんを多く受け入れている病院なのでとてもシステマティックになっています。地元の病院で一回1時間程度の受診を何回も行ったり、手術の入院期間7日間程などを考えると、まだ子供が小さく家を頻繁、長く空けられない私にとっては、遠方でも江戸病院にかかる方が遥かにいいと思いました。また、田先生に全て一貫して診ていただけることも大きな大きな安心材料となりました。
私は、決断する時には割と時間がかかるタイプなのですが、この乳がんの病院選びは、自分でも驚くほど決断が早くそれはどうしてかな?と考えると、『田先生にお願いしない理由が見当たらなかった』からだと思います。
この思いがあったので、家族()には、「自分の人生は自分で決めて責任を持ちたい。あの時ああすればよかったと言うような後悔はしたくない。結果がどうあれ、自分の選択は間違えではなかったと思いたい。だから江戸病院田先生の治療を受けたい。」と告げました。今思えば、ここまで言われてダメとは言えないよねと思うので、酷なことを言ってしまったかな?と思いますが…(苦笑)
先生はきっと懸命に私の命を助けてくれる。だから、私も覚悟を決めて望まないと失礼に当たると思ったのです。でも、そう思うことで、多くの不安を払拭しようとしていたのかも知れません。
前医には、転院のことを電話で告げました。両病院にご迷惑がかかると思いましたが、たまたま前医院が1か月程休業になっている間に江戸病院の予約が入りましたのでそのようなかたちにさせてもらいました。実家が関東なので、実家のサポートを受けながら治療したい旨を転院の理由としました。
手術は一人で向かいました。遠方の場合は病院のご配慮で希望すれば午後からの入院にしていただけます。おかげで家を少しゆっくり出ることができ、子供が初めて私と離れて過ごす2日間のために色々準備することができました。
手術後は、麻酔や痛み止めの副作用が強く、また退院後も暫く痛みがあった状態でしたが、それでも病院のベッドで白い天井を見つめながら子供が今何をしているかと思いを馳せて何日も過ごすよりは、2泊だけで家に帰れたことは家族にとっても私にとってもとってもよかったことと思っています。また、退院後の診察は、全て検査結果が出揃う1か月後なので、遠方の者にとっては大変助かりました。
私は今とっても元気です。
事情を知っている友人には、「病気に負けないでね」とよく言われますが、私はその時いつもこう答えるようにしています。
「もう勝ってるから大丈夫」
こう言えるのもサムライDr江戸病院田先生のおかげだと思っています。
最後に、6627「遠隔地からの江戸病院フルコース」の投稿もとても後押しとなりました。お書きいただいた方にお礼申し上げます。ありがとうございました。

 

 

いやぁー、人に歴史ありですね(失礼にあたったら謝ります。決してそんなつもりではありません)

特にone teamで(時に)お気楽な話題を口にする姿があっても、とても苦悩に満ちた時期があったんだなぁと、(当然なのですが)思い知らされます。

「たつのおとしご」さんの文章からも感じますが、我々医師は「患者さん側の想い」を意識して診療に当たらないといけませんね。

 

再現ドラマ

「(心配だから)大きく取ってください」そのために全身麻酔で手術にのぞんだ「局所再発の手術」

目が覚めてみたら「えっ! 何でこんなに傷が小さいの?」

彼女の心に飛来したのは、傷が小さいことの喜びではなく、「せっかく全麻でのぞんだのに、望み通り大きく取れていないのでは?」という不安でした。

後日、病理結果では「断端が近接している。放射線をかけた方が良い」という担当医の言葉

『えっ、せっかく全身麻酔にしたのに、何故大きく切除してくれなかったんですか?』

医師は言った。『局所再発位で、そんなに大きく切除できないよ。皮膚がたりなくなっちゃう。』

 

私はQAをやっているお陰?で、こんな叫びを聞く機会が本当多いのです。

診察しましたが、「せっかく全麻なのに、なんで(こんな局麻でも簡単にできる程度の)小さい傷なんだ?」

患者さんが「なるべく傷を小さくしてほしい」という希望であれば、勿論それは「アリ」です。だけど、事実は全然違う!

何故、患者さんの希望通りやらないんだ! 「大きく取ると、手術(縫合作業が)大変」という(その医師の)心理が見え隠れするのです。

『心配だから大きく切除してください』

そのような患者さんの想いに(自分の「手間」とか「考え」を超えて)最大限に応えること。それが信頼関係なのでは?