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乳癌手術のブログ 2020/7/10 「乳がんプラザ」の歴史 

『Dr.Tは「トリプルネガティブを悪者にしない!」と口酸っぱくおっしゃっているのでQ&Aを読み込めば安心はできたのですが、あの記述は事実として必要なものでしょうか?』

⇒いやー、やられました。

まさに、「乳プラ改変」への原動力の一つと言えます。

ここで「乳がんプラザ」の歴史を語らせてください。

まず、私がここ江戸川病院に赴任したのは2014年4月(それまで乳腺外科は5年以上?常勤医不在)

患者さんがまばらな中、最初に前院長からの「ご用命」は

『江戸川病院には病院のホームページがあるけど、(それとは独立して)それぞれの科が〇〇プラザという名前でホームページを作っている。是非、乳癌プラザ作ってくれないか?』

私にとっては「ホームページを作る」こと自体、初めてのことだったので

『とにかく、一般的なことは全て網羅しなくては!』と、主としてネットで「間に合わせ」のものを引っ張ってきて「無難な体裁」が整いました。

「トリプルネガティブ」も、その一つです。

大して考えもせずに「グラフや数字があった方がいいかな?」程度の発想でした。

「誰かが、このページを見るかもしれない」みたいな発想もなく、「院長命令に、無難に対応した」という程度の内容です。

 

ふー。伝わってますか?

この時代の「乳がんプラザ」は閲覧数も殆どなく、(誰も見たことない筈)何ともショボいものでした。(今が「豪華」とは言いませんが…)

暫くして、「他科のプラザは、どんな感じ?」って、見はじめて「血管外科」を見た時「Q&A」が目にとまりました。

「これ、いいな。」早速「管理者」にお願いして作ってもらいました。

(最初は)なかなか、Qが来なくて「やきもき」してましたよ!

それが、いつの間にか「プチブレーク」してくると、いろいろやる気でてきました。

「石灰化3部作」みたいな「物語もどき」を作ることが好きなことに気付いたのもこのころです。

QAの閲覧者が増えると、(それに気をよくした)前院長が『コラムなんかどうかなぁ。』

最初は「コラムねー。」週末が近づくと(売れない)漫画家が締め切りに追われている気分になっていましたが、

ふと、QAは回答するだけ(つまり「受け身」)なんだけど、コラムは「自分の言いたいこと」を言える。(つまり「仕掛ける」側になれる)ことに、やりがいを大いに感じてきました。

「コラム」で自分の言いたいことを言えるようになると、そこに「厚み」を持たせて『閲覧者に見てほしいのは、ここなんだ』と考えるようになっています。

そうすると、最初に「間に合わせで書いた無難な体裁の内容」が、(コラムで言いたいこととの間に)「大きなギャップ」が生じるようになりました。

まず、ここに取り組んだ最初が『今週のコラム 222回目 乳癌診断の実際 vol.1 画像診断(前編)』から始まる「実際」シリーズです。

まー、話が長くなってしまって、(市川外来にそろそろ出かけなくてはいけないので)今日はこの位で、締めますが、現状の乳プラの羅列が本位で無かったことだけはご理解いただけましたか?

ご賛同いただければ、その旨だけでも掲示板でお願いします!

年齢 10代

入院期間 2日間(2泊3日)

痛み 1

2日間ありがとうござました。

 

今時の10代。 きちんと挨拶ができて、えらい!