Site Overlay

今週のコラム 517回目 「ん?何か違う…」その職業的勘が患者さんを救う

今日は、お昼にお気に入りの(千葉県)美浜にある「さかえ寿司」に寿司を注文する予定なので、(その画像を)明日(忘れなければ)ここにアップします。

好きな食べ物も数あれど、「寿司」ってやっぱり魅力ありますよね?

 

と、いうことで…

 

〇本文

掲示板より抜粋

(以下、抜粋+修正)

Q&A 毎年受けていた検診と乳腺外来2箇所で見逃された乳がんについて 9/22 15:38
を回答していて…

つい最近の症例を「まざまざ」と思い起こしました。
患者さん自身が「ここにシコリが…」と言っているのに「エコーで何もない」と(前医で)相手にされなかったと、つい最近の時間外水曜日受診された患者さん。

触診すると…
確かに(周りより)微妙に硬い。
ただ、「間違いなくシコリです」というほど輪郭がはっきりしていない。
なんとなく、このあたりが硬い。♯硬結という表現の方がふさわしい。
エコーで見ると…
「一見」腫瘍ではないかな… (前医で、エコーで異常なしと言われたという「先入観」は否定できません)

『確かに、ちょっと硬いけど(その前医が言ったように)腫瘍(癌)ではないようですよ。』

と、口先まで出かかった言葉を(次の瞬間)飲み込む。

ん?『何か、気になる』『はっきりとした腫瘤と認識はできないけど、あらゆるプローブ角度でみても、やはりこの部分(硬結の部分)が周囲とは違う』『これは癌では?』

と、(一転)思い直した私は(実際には)このようにお話ししていました。

『確かに明らかな腫瘍とは言えないけど、もしかすると癌かもしれません。 はっきりさせるためには生検が必要です。 後日予約を取り直すこともできますが、今日やっていまいましょう。』

 

脱線ですが(前にも記載しましたが)

★ 予約外受診の生検をする場合の鉄則

♯「鉄則」と書いていて、数十年前の(大学)受験の際に使っていた「鉄則」シリーズを思い出しました。

〇〇の鉄則」 のように、複数あったような… (ビー玉、ベーゴマ、風船ガムに、ニッキと…)懐かしいなー。

大学受験の参考書として、(もう一つ)覚えているのが「駿台予備校(通っていたわけではありませんが)」の『基本英文700選

この英文だけは全て暗記したようなしなかったような…(記憶のベールに包まれたままの方がいいのかも?)

 

①予約外受診では(はっきりと癌を疑わない場合には)

ver.1 『生検をやらないと確定診断とはなりません。それでは(生検の)予約を取りましょう』

となります。

②同じ予約外受診でも(癌を疑う場合には)

ve.2『画像はほぼ乳癌です。ただ確定診断には生検が必要です。今日もできますがどうしますか?』

と、なります。

今回の場合には②だったわけではなかったのですが、「ご本人が、(前医で異常なしと言われているにも関わらず)気になって(と、いうか前医のその判断に寧ろ憤慨して)受診している」ので『即日、生検を選択』したのです。

♯「しこりとしての」輪郭がないので、(CELEROでは病変全体の評価としては不十分となる可能性を考慮し)MMTEを選択しました。

結果は「癌(浸潤がん)」
患者さんは(文字通り)「命拾い」しました。
前医で「異常なし」と言われて「あーよかった」となったら…
逆に「何で、しこりがあるのに異常なしなんて、おかしいわよ!」これが今回自らの命を救ったのです。

別の角度から見ると…
これは我々医師にとっての致命傷となりうる案件とも言えます。
裁判でいう「誤診」
検診での「見逃し」のワンランク上の(患者さんが訴えているのに)「それを異常なし」と言い切った。

(あとで進行してから実は癌だったと判明した際の)患者さん感情は計り知れません。

次回の今週のコラムはこれだ!

 

と、いうことでこのケースを供覧しましょう。

 

USを以下に提示します。(この4枚は、様々な角度でこの「なんとなく硬い」部分を捉えたものです)

 

 US 1

 

   US 2

 

  US 3

 

  US 4

 

解るような、解らないような?と、いうところでしょうか。

それでは次に 解説をします。

 

US1

 

 

この部分が実際の「シコリ」なのですが…

 

 

 

 

 

実際には、(周辺の)乳腺内脂肪(も黒いので)それに埋もれてしまい

「腫瘍なんか、ないじゃないか!」と、前医では判断したわけです。

 

 

 

このような「致命的な」誤り(誤診といえますが)を回避するためには…

1.やはり何といっても「患者さんの訴え」に真摯に対峙すること。

「この人、心配症なだけでは…」と(思ったとしても)、その訴えを否定するためには「それ相応の」労力を要するものと考えるべき。

何といっても「あるものを発見」することは容易なれど、「無いことを無い」と証明することは時に「非常ーに」難しい。

 

「銀行での1日の終わり」

(テレビか何かで言っていたことで私の印象に強く残っているのですが)

銀行では、(その日の営業を終了するにあたり)お金の収支を行うようです。

その際に「1円でも、合わないと(その銀行中を)隅から隅まで見つかるまで探す」ようなのです。

1円が(実際に)あれば、それを見つけるのは(実際にあるのだから)可能といえますが

もしも(この場合、計算違いなどで)実際に1円は無いとして、「1円がここにない」ことを証明するためには「相当な労力と確信が必要」なのです。

 

話を戻しますが…

患者さんが「ここにシコリがある」と言っているのに「それはない」と言い切るのであれば、それは(そもそも)「無いものを無い」と言い切ることの難しさがあることを理解したうえでないといけません。

 

2.経験

やはり最後は「経験」に行きつく気がします。

「何か、違う。」この感覚は(過去に)膨大な正常所見と、「これも癌なのか?」という(一見正常に見える)異常所見を経験してこそのある種「勘」といえるかもしれません。

この「職業的勘」は、様々な職業に存在していると思います。

あなたにも、その「職業的勘」はありませんか??

 

『ん? この魚、もしかして…』きっと、寿司職人には「その魚の全体を見た際に(過去の経験と紐づいた)記憶」からアニサキスの存在が解るように…