昨日は尾崎豊の命日だったそうですね。
skyrocket companyで知りました。
『15の夜』『僕が僕であるために』『I love you』3曲かかりました。
尾崎を聴くと、瞬時に(気持ちだけは)あの頃に戻ります。
友人からカセットテープを渡されながら、『これ、聴いてみてよ。 今話題になってるよ。』
それが尾崎の「十七歳の地図」でした。
洋楽全盛期(マイケルジャクソン、デュランデュラン、マドンナ)の後、「ピュアでストレートな歌詞や、(海外スターとはあまりに対照的な)身近な空気」に心を奪われました。
借りたテープをWデッキでダビング(懐かしい!)してテープを友人に返した際の会話も鮮明に覚えています。(今から35年も前なのに!)
私『凄い新鮮だね!驚いたよ。 特に気にいったのは「15の夜」「ハイスクールRock’n ‘Roll」かな。』
友人『それ解るわー。でも俺の一番は「街の風景」』
その後「回帰線」をひっさげた新潟でのライブ。
その友人とライブ終わりに熱く語り合ったことも鮮明に覚えています。
「生の尾崎」もう2度と見れない彼をあの瞬間に見れたのは一生の宝物です。
と、思い出に浸りつつ?「尾崎豊」についても触れていたお便りを紹介しましょう。
年齢 40-49歳
入院期間 2泊3日
痛み 2
『田〇先生、この度は私の手術を安全、安楽にそして丁寧に施術して頂き本当にありがとうございました。〇月△日(金)に手術して頂いた〇〇です。
術後10日が過ぎ術前と変わらない日常生活を送れている事に先生への感謝の気持ちでいっぱいです。
〇才の娘の絶対出席しなければならなかった保護者会へも術後2日目で出席できました。痛みはありましたが普通に歩く、バスに乗る、電車に乗ることもできている自分が信じられませんでした。普通にできる… すごく幸せなことです。
やはり乳がんという突然の宣告は、今までの人生のなかで一番辛かったです。
(乳がん患者さん皆同じだと思います)
自分がこのまま市へ向かうだけなのかな?死ぬのが怖いの?何が一番不安なんだろう?子供たちの成長を見られないことが辛いのかな…私はなんて弱いんだろう、過去に良いことしてこなかったから乳がんになったのかな?
頭の中が日に日にパンクしそうで、このまま電車に飛び込んで死ねたら楽かな…と思ったり精神がやられました。
現在も、気持ちの波はあります。とにかくメンタルが一番やられます。
はじめは近くのクリニックで乳がんの診断を受け、〇〇大学病院へ紹介状を書いてもらいました。
看護師の私は、大学病院のシステムや院内の色々なことを知っているのでこのまま昭和に行くのは嫌だなという思いが強く、自分で探し始めました。
田〇先生を乳がんプラザで知り、先生に会いに行こうと決めました。直観です。
改めて、クリニック側に田〇先生宛に紹介状を書いてもらうよう依頼しました。
「なんで江〇川病院にしたの?退院が早いから?」などいろいろ聞かれました。
大学病院を勧めてくるのですが、研修医の相手になるなんて絶対嫌だと思いましたし、とにかく入れ替わりが激しい大学病院には行きたくありませんでした。
クリニックの医師から、〇〇〇医科大学で凍結療法をやっているので考えてみてもいいかもしれないと言われ〇〇〇医科大学へお話を聴きに行きました。
私の腫瘍から凍結療法はできないと言われましたが、医師は私の胸を一度も診察しませんし、エコーも専門の技師さんがやるだけでした。
田〇先生は、必ず先生がエコーするという徹底した信念があり
そういったところから医師の質が違うのでは…と感じました。一日でも早く田〇先生に手術の依頼をしようと6時間待ちましたが診察して頂けました。
診察していただき、凍結療法の失敗の多さを知り恐ろしくなりました。
やはり、手術が一番いいのだと改めて思いました。
先生にお会いして、とてもとても緊張してしまい…もっと話したいことあったのに…と思いながら帰宅しました(笑い)
田〇先生にしっかりと胸を診察していただきエコーもやっていただき、とても安心できました。すぐに手術日程も決めてくださり無駄がない診察でした。
田〇先生はクールですが穏やかな口調で患者を不安にさせるようなことは言わないと感じましたし、安心して治療を受けられるよう配慮されているように感じます。
患者になって、やはり生きる希望を持ちたいと強く思いました。
田〇先生の患者への配慮は生きる希望になると感じます。安心したいんですよね…患者って…と思います。
「抗がん剤をすることになったら不安です…」と術後に話しましたら
「今から考えても仕方ないですよ」と先生は言いました。
深刻な表情はせず、とにかく先生は普通に接してくれました。
退院後も普通に今までと同じでいいよと、特別な制限はないからと言われ乳がんであることを忘れてしまいそうな感じになり…
先生の優しさを感じます。
欲を言えば、もっと先生といろいろ話せたら嬉しかったです(笑い)
手術は二人目という事で緊張しすぎて、大丈夫かなと思いましたが、時間通りに呼ばれました。
あっという間に麻酔で眠り、看護師さんが病室に私を移すときには意識がありました。
母が「早すぎてびっくりよ。一時間ちょっとで帰ってきたよ、すごいわねー」
と言って驚いていました。
そんなに早かったなんて、私も驚きました。
「リンパ節転移なかったって!よかったね…」
手術が終わったんだ…リンパ節転移なかったんだ… 手術までの一か月半・・
不安で不安で崩れそうだったけれど、ベッドの上でホッとしたのを覚えています。
痛みはありましたが、看護師さんが対応してくれました。一番恐れていた嘔気が全くありませんでした!
術後すぐプリンペランを混注して頂きましたが…私の嘔吐恐怖症からお願いしてしまったので…先生スミマセン…なくても大丈夫でした(笑)
腕も動かしてみたらすぐ動かせましたし
何よりバルンカテーテルがないことに感謝しました。
退院が二泊三日ということも素晴らしいと思いましたが田〇先生は患者さんの苦痛、とくに術後の絶対安静の時間の長さ、バルンカテーテルの不快感のストレスなどよく理解されていると思います。看護師の私が一番ひかれたのは田〇先生の術後の考え方です。
大学病院などでは、バルンカテーテルは必須ですし両足に機械をつけられて動けません。どれほど苦痛かと思います。入院も一週間ほどですよね。入院はストレスです。
田〇先生の、迅速な乳癌手術、シンプルな乳がん治療のポリシーは素晴らしいと思います。
今後も長期間、田〇先生の患者としてお世話になりますがよろしくお願い致します。
乳がんになり、患者さんの気持ちが良くわかりました。絶対治したいです。
回復し余裕が出てきたら、また看護師として今度は乳がん患者さんとかかわれる病院、またはクリニックで仕事しようと思います。
夜中にPCに向かい、文章力がなく乱文申し訳ありません。
田〇先生本当にありがとうございました!!!!
追伸:田〇先生、私の誕生日が3月9日なのでレミオロメン大好きになり聴いています!尾崎豊も大好きで高校から聴いています!今はロザーナを聴きながら書いています。
関係ないことをすみません(笑)先生もお身体大事になさってください。そしてたくさんの乳がんで苦しんでいる患者さん達を救ってください!!!
先生のおかげで、趣味のフィールサイクル(暗闇の中の自転車漕ぎエクササイズ)
ピラティスへの運動もすぐ再開できました。運動も今まで通り楽しみたいと思います!』
『長文、お疲れ様でした。
負担の少ない入院生活で大変良かったです。
物事は複雑なうちは、まだ未成熟だという事です。
余計な処置も、バルンもドレーンも安静も要らない。完成すれば(どんどん)シンプルへ向かうのです。
そうれはそうとレミオロメン、復活しないですかね? 』