掲示板 2021年1月17日(日)
ニックネーム欄は本名禁止です。記載したくない方は「匿名」と入力してください。
投稿は内容を確認後に公開されます。(リアルタイム更新ではありません。)
下記は掲載されません。
【NG】乳がん治療(手術・放射線・抗癌剤)や症状に関すること、治療体験談は掲載されません。
初めて投稿する方は下記リンクをご覧ください。
掲示板について
*このページはQ&Aコーナーではありません。
田澤先生への質問は下記リンクからお願いします。
「乳がんQ&A」
このページは過去日です。閲覧、返信のみできます。
新規投稿は、こちらをクリック し最新の日付からお願いします。
・1月19日 09:53 nayk🗻【返信】北のフネ⛄️ ( 17:19投稿 ) >読む
・1月18日 17:32 たつのおとしご【返信】時雨 ( 12:51投稿 ) >読む
・1月18日 17:19 北のフネ⛄️【返信】nayk🗻 ( 13:26投稿 ) >読む
・1月18日 13:26 nayk🗻【返信】北のフネ⛄️ ( 14:49投稿 ) >読む
・14:49 北のフネ⛄️ >読む
・12:51 時雨【返信】たつのおとしご ( 04:50投稿 ) >読む
・10:19 ふーちゃん2626 >読む
・04:50 たつのおとしご >読む
こんにちは
今朝方、道内別宅付近を所用がてらドライブして来ました。
ワタシが思っていたより、ランナーの数がずっと多くて驚きました。冷たい空気を吸って肺が痛くないだろうかと、他人事ながら心配になります。
動画のアウトラインについて。
乳がんプラザの登場の仕方が若干唐突ではないでしょうか。先に自己紹介のところで触れておくと自然な気がします。
それと実例を挙げる前に、癌であるなら検査を受ければ必ず、癌と診断されると信じている方達に、そうはならない場合もあるというような一言があると実例が納得し易いかと思いました。
フネ様こんにちは😃
癌であるなら検査を受ければ必ず、癌と診断されると信じている
これ、とても多いと思いますし、実際私がそうでした。早期発見したくて検診を受けていたのに、それは叶いませんでした。とっても悔しい思いをしました。
付け加えると、マンモに写ってないから心配ないとの言葉も江戸川へ来る前の前の病院で言われました。
それは本当に悔しくて、腹立たしいですね。
信じるっつーの!
そういう方が少しでも減るように、出来ることを頑張りましょうね。
元旦、カマキリ先生観ました。
心くん、可愛かった。
今週もお気を付けて。
フネ様
こんにちは😃
えぇえぇ
そりゃあもう
悔しいったらない
私のあの毎年の検診はなんだったんだ‼️
その上わかった時にはステージ3。慌ててめちゃくそ丁寧にエコーもして、優しく話しかける様は、ちょっと呆れて笑えました。
ぜひ、先生にはまずその点を触れていただいて、早期発見に役立てていただきたいと願っています。
カマキリ先生爆笑しながら見てました!熱量がすごくて、ツボです。まだ録画もしてあります😆
今週もゆるゆるといってきまーす!
コラム272。動画vol.1の構想が出来上がって参りましたね。
(vol.2…3…と続編も楽しみですし、
「動画スレッド」を立てて戴くというのは如何でしょう?)
①エコーで見えている以上、『マンモやMRIで、どう見えるのか?』は無関係
②小さい場合(4mmなど)でも、(エコーで写る以上)確定診断できる
加えて、
③エコーにもMRIにも写らないけれど、マンモでは写る微小石灰化(⇒ST-MMTでガンが確定した)例なども如何でしょう?
おはようございます。
今日は、神戸で生まれ育った私にとって忘れられない日です。
26年前の今日、阪神淡路大震災で多くの方が犠牲になりました。
当時、私は浪人生で、センター試験を2日前に終えた安心感でまだ寝ていたところ、激しい揺れとともに自分の布団の上に本棚が倒れてきて、何が起こったのかすぐには理解できませんでした。
幸い怪我はなく家族も無事だったのですが、電気もガスも水も食べる物もないという状況を生まれて初めて経験して、続く余震の恐怖と変わり果てた街の姿に、茫然とするばかりでした。
現役の時は、医学部進学に大反対だった両親を説得できずに他の大学の他の学部を受験して失敗…浪人して1年だけという約束で両親を説得して背水の陣だっただけにショックが大きくて、割れた食器や物が散乱した家の中で参考書すら見つけられない状況に「もう無理だな」って半ば諦めてました。
その時に、医師を目指すきっかけになった病院の先生から、「1年間頑張ってきたことは、少しの間勉強できないくらいで忘れたりはしない。こういう時こそ人としての真価が問われているのだから、最後まで諦めてはいけない。それができない人に医師になる資格はない。後輩になったという連絡を病院で待ってる。」と言われて、結果はどうあれ最後の1秒まで諦めずにやらないといけないなと思ったことを今も覚えています。
今日を平凡に過ごせることも、今仕事を続けられていることも、決して当たり前ではなくて、多くの方に支えられて今の自分がいるということを忘れず、一日一日を大切に過ごしていきたいなと思います。
写真は復興した神戸の街と港です↓
たつのおとしごさん、
こんにちは。
1995年1月17日から、26年。
時間は、経過していきますが、私達が、忘れてはいけない、歴史の一つです。
私は、東京にいましたが、あらゆる情報が、錯乱していました。
毎日の、報道を、見るのが精一杯でした。
日本は、どうしても、気象による、災害は、避けられない、それでも
(私にも大きく関わる事ですが)、生き延び、命ある者は、辛くても過酷な、現実を受け止め、真摯に命を全うしなければと、言い聞かせています。
神戸に、足を運ぶ機会がなかなかとれずですが、たつのおとしごさんの、神戸の、写真からでも、街が生き続く様子が、伝わってきます。
(後ろの山は、六甲山でしょうか?間違っていたら、すみません。)
平凡で、つつがない生活が、いかに幸せか、今日、私も、改めて感じます。
時雨さん、こんにちは。
後ろの山は六甲山です!
海と山が近くて、その間の狭い範囲に市街地が広がっているので、坂が多いんですよね。
山から見た街と港の夜景も、日本三大夜景の一つにあげられていて、オススメです。