OneTeam コメント
ADD VALUE TO THE WORLD さん 17件
2020-05-28 15:42:33 掲示板2020年5月16日~28日
こんにちは!今日は最高に気持ちが良~い天気ですね♪
掲示板で以前のコメントに「返信」しようとすると、どこだったかめくりめくって探す道のりが遠いぃ・・・掲示板をサクッと使う方法がマスターし切れずにいます。←自分のドンクサを棚上げして、こちらから失礼しますね~♪
ふーちゃん2626さんのコメントに今気づきました~
「怒られる」だなんて、まさか!名訳ありがとうございます!
ねね☆(北の国から)さん、青森県が会津と関わりがあったなんて知らなかったので、おかげさまで詳しくなれましたぁ。新島襄といえば、同志社大学に入学したかった18歳の頃・・・結局地元東京の大学を選んだけど、Turning Pointはそこここにあったなぁと走馬灯のように「記憶が蘇り」ました。(そろそろ迎えが来るのかな^^)
昨日の先生のブログを読み返していて、バイク事故は「35年も前」という文字に??エ??と「?」がいっぱいになり「医師紹介」のページで、「あ、先生お久しぶりです」と写真に挨拶しつつ(笑)先生の略歴を見せていただいたら、エエエ、先生って、40歳ぐらいかと思っていた!!とビックリが止まらなかったです(*_*)今更!?どおりで若干、時代が先というか、話題についていききれなかった私でした。ほんの数年でアニメやテレビは違ってくるんだなぁと実感!先生、お若い~!ぜったいに実年齢に見えないです~!すごい!!!(すみません、まるでウザいミーハーですね)
あと、昨日のブログを読み返していて、ちょっと久しぶりに爆笑してしまいました。先生が30代前半の時、お一人だったのかご家族がいたのかわかりませんが、「ちょっと走ってくるね」と出ていったパパが山越えして、血尿出るほどボロボロになって帰ってきたら、いったいどうしちゃったのって家族はそれこそ「震えあがった」だろうなって、想像すると笑ってしまいます。先生は何につけ究極者なのでしょうか(笑)今度は先生の「だらしないエピソード」「ダメダメだった失敗」のエピソードが聞きたいです!あんまり完璧でいらっしゃると自分がダメに思えてくるので、下界にいる私どもを安心させてください!
2020-05-27 12:22:42 掲示板2020年5月16日~28日
ふーちゃん2626さん、訳してくださっていたのですね!!私もさっき、ねねさんにコメントいただいて、慌てて訳を追記したところです。ふーちゃん2626の訳、すごくプロフェッショナル!ステキです!お手数おかけしました。皆さんをウッとさせてしまい反省しています。
今日、ふーちゃん2626さんと共に、先生のブログにも登場させていただいちゃいましたネ(^_-)-☆しかも記念すべき2回目!!私も密かに2回目!!先生と繋がれるようで、うれしいですね。
いつもふーちゃん2626さんが、素敵なコメントを書かれているので、自分の気持ちを上手に代弁してくださっているように感じています!特に先生へのコメント最高でっす!
2020-05-27 11:46:14 掲示板2020年5月16日~28日
ねねさん、こんにちは~♪いつも掲示板を丁寧に盛り上げてくださって、楽しく拝見しています♥
私の真夜中の投稿ですが、すみませんっ!英語(オノヨーコ本人の言葉)の方が素敵だったので、書いてしまいましたが、お手間かけさせてしまって^^お忙しい先生にも・・・!(先生のブログに取り上げられるなんてWOWすぎて、ハイロウズの『胸がドキドキ』が頭の中流れました^^)みなさん、ざわつかせてごめんなさいっ。『編集』とか『消去』が効かないから、ドジっ子としてはこれから気をつけねば!!変な投稿しちゃう恐怖がありますね!ケモブレインのせいにしよう・・・!
以下、私の訳ですが、今やってみました。もしよかったら~。
『私がまだ子供の時、かつて白虎隊の一人で摺鉢山の戦いで生き残ったおじいさんが、ラジオでこんな話をしました。「私が生き残ったのは、まだ幼くて、刀をうまく使えなかったからです。私は主に逃げ回っていました。ある年老いた高名な侍が、敵に取り囲まれて、命がけで戦っているのを、私は木の陰から見ました。その侍は、体をひねったり、向きを変えたりして、常に、敵の刀がおろされても切れない角度に体を置いていました。私の立っている場所からは、侍が優雅な舞いを舞っているように見えました。ふと気づくと、侍はそれまでとは全然違う立場に立っていました。いつの間にか自分を取り巻く刀の輪から逃れていたのです。そして今や敵は侍の後ろに取り残されていました。戦いのあとで、侍は自分の着物と体を私に見せてくれました。着物はボロボロに切られていましたが、体には、「引っかき傷」と侍がいう程度の浅い切り傷があるだけでした。この時、侍は刃の下で、どういう身の置き方をすればいいかということを教えてくれました。」この話は、私があらゆる方面から攻撃され、素早い決断と行動を矢継ぎ早にしなくてはならなかった時に、私を助けてくれました。あなたが生き残るために大事な教訓を与えてくれた話があれば聞かせてください。』
2020-05-26 01:57:47 掲示板2020年5月16日~28日
みなさん、こんにちは!毎日one team、同志のみなさんとお話している気持ちで、隅々まで読んでおります!
田澤先生の青春バイク事故のお話、エエエェ意外!!とまた先生の新たな面を見させていただき、感動しましたネ!日頃、コラムにちょっと書いてくださる子供時代のテレビネタとかで真面目なだけの子供じゃない感は感じていましたが、校則破ってスクーター通学してしまうって、そんなに?親も許してくれたのですね。うーん、田澤先生の魅力・・・奥深い!!『楽しい日々が失われた』あたり、そこから『医学部』志して猛勉強かしらぁ、と妄想が続く続く・・・^_^先生の貴重な青春エピソード、また楽しみに待っていまーす!
あと、「外来がストレス」について、田澤先生から「ストレスは患者を診ることではなく、待たせることが申し訳なくて」という内容のリプライをしていただき、またまた『感動』しておりました。てっきり患者の対応は憂鬱な部分が多いとのだと捉えていました。先生の「予習」を感じることは、診察中随所にあり・・・本当に神!!いい先生です・・・(涙)
田澤先生のQ&Aを読むたびに、思い浮かんでしまうエピソードがあります。この気持ちシェアさせてください!(長いので、もちろん興味ある方のみで!)それは、オノ・ヨーコの『Acorn』からの一節です。英語の方がしっくりきます。
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LIFE PIECE I: An old Japanese warrior who belonged to the famous Byakkotai Youth Regiment and who survived the battle of Suribachi Mountain at the turn of the century, told this story on a radio program when I was a child. “I survived because I was too young to be a good swordsman. I mainly ran. From behind a tree, I witnessed a famous old warrior surrounded by enemy swordsmen fighting for his life. The warrior kept twisting and shifting his body, placing his body under the enemy sword in an angle in which it was difficult for the blade to slice the body. He kept placing his body in that angle as the swords kept coming down on him. From where I stood, it looked as though he was dancing a graceful dance. Suddenly, I noticed that he was in a very different position. I did not see it happening because it was done so gradually and subtlety, but somehow he removed himself from the center of the circle of swords. His enemies were now behind him. After the battle, he showed me his clothes and his body. All his clothes were shredded into pieces, but his body had only small cuts he called scratches. That’s when he taught me how to place your body under the blades.” This story helped me, at one point in my life, when I was attacked from all directions and had to make series of quick decisions and moves. Tell us if there is any story that helped you to survive.
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どんな質問にも華麗に返信される田澤先生が、斬りかかってくる多くの敵(患者だけど!)を華麗に捌かれる姿とかぶります。特に過去のQを読んでいると、ハラハラするようなものもありますよね。私たちから見てもうわっとなるような・・・。先生がそういう質問にも慈悲深く対応されているのを拝見すると、ああ、私修行が足りないっと思うんです。ひどい状況のとき、どう対応するかで人ははかられるんだなって・・・。
眠らない夜に、延々と書いてしまいました!明日も一日頑張るゾイ!
2020-05-14 18:11:40 掲示板2020年5月1日~15日
naykさま、scorpio♏️さま、ねね☆(北の国から)さま、みなさま、リプライありがとうございます!家族や友達では埋められない孤独な心にガン闘病仲間の『返信』が染み入ります・・・。
私がいただいた、田澤先生からの前向きなアドバイスは、個人的な治療に関する内容を含んでしまうため、大分要約させていただきますが、『今、転移が見えていないのだから、このまま大丈夫と考えていけばいいのでは?』ということです。ちょっと要約し過ぎて伝わりづらいかもしれませんが・・・!再発に怯える方へ、励みになればとお伝えします。不安の千本ノックを投げる患者に、先生はどんな球でも確実に安心のヒットやホームランを打って応えてくださる!なんて天才なんだ!と感化しました。田澤先生は外科医としてもちろんずば抜けていますが、サイコセラピストとしても最高位と思います。だからこれほど『乳がんプラザ』が大成功をおさめられたのですよね。
ステージが進んでおりまして、なかなか明るい話題を振りまける気力がまだないのですが、(生きていたら)5年後ぐらいには「ねね☆(北の国から)」さんくらい明るいコメントをするつもりです^^
『乳がんプラザ』に希望があります!
それは、みなさんにもっと結果を伝えてほしいということです!特に良い結果だった場合!良い結果が少なすぎる~(泣)田澤先生に不安を伝えて、Q&Aの回答をもらったその後、どうだったのかという結果をもっと返してほしいです!「この質問まさに、自分と同じだわぁ、それでその後どうだったんだろう?!」って思いませんか?転移したり、悪化した場合は『次の質問』をしたくなり、その後の経過を知ることがありますが、大丈夫だった場合、わざわざ伝えてこないですよね?できる限り結果を返信したくなるようなシステムにしていただきたいなと思います!例えば「何番で転移の質問しましたが、大丈夫でした」とか「何番で質問して10年経ちますが、元気に転移もなくやっています」とか!そういう(希望の)情報がほしいです!システム構築のご担当者様~、ぜひお願いします!
(Q&Aコーナーの「結果」については、下記リンクから確認できます。「結果」の追記ができる方は送ってください。)
2020-05-14 00:25:33 掲示板2020年5月1日~15日
one teamのみなさま、はじめまして。いつも楽しく拝見しています。今日、初めて記入させていただきます!(ドキドキ)
掲載できない事項(多い!笑)をチェックしつつ、う~んと考えながら書いていますが、全文載せていただけることが書けるかな?!どちらにしても、一番にお伝えしたいことは、とにかく田澤先生への感謝です^^
青天の霹靂のガン告知、再発の不安、押し寄せる死への恐怖・・・『乳がんプラザ』がなかったら、発狂していたところです。不安なことがあると『乳がんプラザ』でまず検索し、少し安堵したり、現実を知ったり・・・何とか普通に暮らせるのはこちらのおかげです。
思わず涙ながらに再発の不安を訴える私に、田澤先生は「こう考えるといいですよ・・・」とアドバイスくださいました。さらに不安を言う私に、さらに前向きに考えられるお言葉をくださいました。先生が言った一字一句を、毎日何度も何度も反芻して自分を奮い立たせております。
先生の『手術が好き』『診察はストレス』というコメントに、少しチクチクと(無い)胸が痛みました(笑)。初診時の私のように、気持ちの重た~い患者が、不安のすべてをぶつけてきて、先生はその重荷を軽くしてくださるのですから、それはそれは、ストレスが溜まりますよね。まるで苦行の修行みたい。すみませんっ!でも先生のクールながら温かいお心遣いに、本当にどれだけ感謝しているのか・・・お伝えしきれたらと思います。
「手術だけ」や「経過観察だけ」を引き受けてくださったり、コロナで遠方患者に処方箋をお送りくださったり、様々な形で柔軟に対応してくださることにも、驚きと、さすが!!と感嘆します。田澤先生は軽々対応してくださいますが、そんな融通を利かせてくれることって、病院にしろ、お店にしろ、なかなかないですよねっ。融通が利かない社会に、『盗んだバイクで走り出』したいぐらいです。
私は心から田澤先生を尊敬しています。どうしたら先生みたいな人になれるのか、どんな子供だったのだろう、と想像しています。東北堅気の真面目な小学生だったのかしら??など!(田澤先生の『伝記』を読みたい、みたいな興味なので、変な意味ではないのですが!)我が子(小学生)にも先生みたいに多大な価値ある人間になってほしいので、先生の子ども時代、親子エピソード、勉強法、愛読書など教えていただきたいです♪(←みなさん、興味ありますよねッ!)無理かな??^^
2020-06-09 01:22:16 掲示板 2020年6月9日(火)
みなさま、こんばんは♪『ハイ!ハイ!』という掛け声が上がっている中、大縄跳びに入れない子のように、ROM専でしたが(少し『一歩』のハードルが高くなってきましたネ)、今日は思い切って書き込ませていただきます!
今日のQ&Aで身につまされて、いつも考えないようにしている闇の扉が開きました。『後悔』です。後悔のやり過ごし方について、同じ乳がんを体験している皆さんにお伺いしたいです。
『自分でコントロールできることと、できないことに分けて考え、できないことに関心を持たない』という松井秀喜さんの言葉、田澤先生も何度もいわれていますね。私も大切にいつも胸に留めています。ただ、時々、強く魘されて息ができなくなってしまいます。経過観察しているうちに悪化してしまったから『なぜあの時』と・・・・。普段は絶対考えないようにしているのですが、どうしても拭い去れないとき苦しくなってしまいます。
『乳がんプラザ』のおかげで、病に詳しくなった今なら、みなさんも質問を読むと田澤先生のおおよその回答がわかるようになっていますよね。私もかなりの正解率です。でも前はそうじゃなかった。ガンなんて他人事で・・・。今日のように、Q&Aで経過観察の方や、他院で誤診続きの方、行動が遅い方を拝見すると、自分のことを見ているようで後悔が止まりません。不安に思った時点で、田澤先生のところに、『乳がんプラザ』に辿り着けていたらな・・・。『なにやってたんだ!?』・・・いくら考えても『癌は決して時計を逆回しにはできない!』。質問されている方は、きっと田澤先生のおかげで救われているものと信じます。
『NO!!無駄な経過観察→即確定診断できる医者を探せ!』と当時の自分をどやしつけたい。『すぐに判断してくれるお医者さんはいるんだよ!見つけるまで探そう!』そう自分に言えたなら。田澤先生もまた、自分なら治せるという医師の立場から、『早期発見』に燃えてくださっていますよね。その思いは『乳がんプラザ』リニューアルでも強く強く伝わってきます。
BAD LUCKはやはり無知によって引き起こされたもの・・・誰のせいにもできない。『健診に行っていたのに、経過観察だったのに。』でも行っていただけじゃだめで、もっと知識やもう一つ先の行動力が足りなかった。そう考えると、逆回しにできない時計にうなされてしまうんです。このような『後悔』に苛まれる『がん』患者はきっと私だけでないはず・・・。
みなさん、どうやって心を立て直されたのか、アドバイスいただけませんか?私たちの『後悔』をどなたかが知って、田澤先生に、最良の医療に、辿り着けたらいいな・・・!